多世界解釈の問題(完結編)
多世界解釈には、3つの問題があった。
1)多世界なんて、日常的な感性では受け容れらない →
問題(1)
2)多世界があることを、観測によって証明できない →
問題(2)
3)たくさん世界があるのに、「現に、今、この世界であること」を説明できない →
問題(3)
これらの3つの問題は、一見、致命的な問題のように思えるが、多世界解釈ファンに言わせれば、実のところ、まったく問題ではない。
というのは、量子力学で標準的な解釈とされている
コペンハーゲン解釈も、まったく同じ問題を含むからだ。
1)多世界なんて、日常的な感性では受け容れらない
そんなこといったら、コペンハーゲン解釈だって、同じである。
2重スリット実験において、観測していない1個の電子は、「スリットAを通ったかもしれない電子」「スリットBを通ったかもしれない電子」という2つの状態で、同時に存在している、
というコペンハーゲン解釈の説明だって、日常的な感性では受け容れらないはずだ。
2)多世界があることを、観測によって証明できない。
そんなこといったら、コペンハーゲン解釈だって、同じである。
2重スリット実験において、観測していない1個の電子は、「スリットAを通ったかもしれない電子」「スリットBを通ったかもしれない電子」という2つの状態で、同時に存在している、
というコペンハーゲン解釈の説明だって、観測によって証明できない。
つまるところ、コペンハーゲン解釈というのは、2重スリットなどのヘンテコ実験結果について「
観測していないとき、電子が多重に存在していると考えれば、ツジツマが合うよ!」という話をしているわけだが、
そもそも
「
観測していないときのことを、観測によって確かめる」
ことなんか出来るわけないのだから、コペンハーゲン解釈だって、観測によってその正しさを証明することは、原理的に不可能なのである。
3)たくさん世界があるのに、「現に、今、この世界であること」を説明できない。
そんなこといったら、コペンハーゲン解釈だって、同じである。
2重スリット実験において、観測していない1個の電子は、「スリットAを通ったかもしれない電子」「スリットBを通ったかもしれない電子」という2つの状態で、同時に存在している、
というコペンハーゲン解釈の説明だって、
「
現に、今、観測してみたら、スリットAを通っている電子が観測されたけど、なんで、スリットAの方の電子だったの?
電子は、スリットBを通っていても良かったはずなんでしょ?」
という同じ疑問が成り立つ。
もともと、コペンハーゲン解釈とは、
「
シュレディンガー方程式という波の方程式をつかって、その方程式の波の高いところでは、電子が観測される確率が高いよ。理由はよくわからないけどね」
と述べているだけである。
だから、コペンハーゲン解釈に、
「
なぜ、その場所で、電子がみつかったのさ!?別の場所で見つかっても良かったのに!」
と問い詰めても、
「
さぁ、そんなこと知りませ〜ん」とサジを投げる。
結局のところ、電子がどこで見つかろうと、「
たまたま、そこでみつかったんじゃないの?」ぐらいにしか言えないのだ。
したがって、多世界解釈が、
「
たくさん世界があるのに、なぜ、現に、今、この世界であるのか?」
を説明できないからって、非難されるいわれはないのだ。
コペンハーゲン解釈と同様に、「
さぁ、たまたまじゃないの?」と言えば良いのである。
以上のように、世間一般から、非難されている
多世界解釈の問題というのは、実のところ、
量子力学(コペンハーゲン解釈)でも共通する問題なのである。
だとすると、なぜ、コペンハーゲン解釈だけが受け容れられて、多世界解釈の方は許されずに、科学界から総スカンを食らっているのだろうか?
やっぱり、多世界というSFチックな語感が、受け容れがたいのだろうか?
いやいや、そうではなく、実は、とっても単純な理由である。
なぜ、多世界解釈が、科学界から受け容れられていないのか?
それは、
何の役にも、立たないから!
である。
結局のところ、多世界解釈は、
コペンハーゲン解釈の
「
電子が位置Aにある、電子が位置Bにある、が重なって存在する」
というのを
「
電子を位置Aで観測する私がいる、電子を位置Bで観測する私がいる、が重なって存在する」
という言い方に換えただけなのだから、
量子力学のシュレディンガー方程式の形は、何も変わらないのである。
だから、どっちの解釈だろうと、あいかわらず、シュレディンガー方程式で計算して、
確率的に予測することに変わりはないのだ。
しかも、多世界という新しい概念を導入したところで、
コペンハーゲン解釈とは違う『新しい方程式』が出来るわけでもないのだから、科学者たちが、「
あるかどうかもわからない多世界」を
積極的に受け容れる必然性はまったくないのである。
量子力学を第一戦で利用している科学者たちは、決して馬鹿ではない。
彼らは、コペンハーゲン解釈のおかしなところも、多世界解釈の妥当性もちゃーんとわかったうえで、
コペンハーゲン解釈 → 使っている(予測の道具として、使えるから)
多世界解釈 → 使わない (予測の仕方が↑と同じだから)
のである。
つまるところ、科学者たちが、多世界解釈を使わないのは、
「
多世界なんか絶対無い!」と頭ごなしに否定しているからではなく、
使っても、役にも立たないから、
無理に使わないだけなのである。
それでも、多世界解釈ファンは、
「
コペンハーゲン解釈が正しいなら、多世界解釈も正しいことが論理的に導かれるんだ!」
とその正当性を主張し、
「
コペンハーゲン解釈だけが受け容れられて、多世界解釈が受け容れないのは、科学者たちの偏見だ!陰謀だ!」
と非難し、
「
きちんと説明し、みんなの誤解を解けば、多世界解釈は、量子力学の正統な理論として認められるんだ!」
と考え、今も布教活動にいそしんでいらっしゃいます。
がんばれ!多世界解釈ファン!