思考実験(2)どこでもドア

――ある未来の話のこと。

ついに、人類は、永年の夢であった「ドラえもん」を開発することに成功した!

そして、同時に「出して欲しい道具ランキング」で常に上位であった『どこでもドア』も開発された。

しかし、この『どこでもドア』。原作のように、念じた場所に自由に行けるような都合の良いものは、さすがに作れず、事前に、町中に設置されている、別の『どこでもドア』に瞬時に移動できるというものであった。まぁ、ようするに、「あらかじめ、決まっている場所」にしかいけないのだが、それでも、遠くの場所に瞬時に移動することができるわけで、充分「どこでもドア」を再現することに成功したと言える。

この「どこでもドア」の発明により、「通勤、通学、買い物、旅行」などの移動時間は大幅に短縮され、人類の生活はさらに快適なものになっていった。

――そんな、ある未来の話のこと。

うわぁあぁぁぁあわあぁぁああ!!寝坊だぁ〜〜!!どうしよ〜、どうしよ〜、遅刻しちゃうよ〜〜〜!!あっ!そうだ!ウチには、ドラえもんがいたじゃないか!!ドラえもん!道具だしてよ!」

まったぁ〜く、の〜び〜太く〜ん
 …………
 きみってやつわぁ〜〜〜
 …………
 いっつも〜〜〜〜〜〜、
 …………

 いっつも〜〜〜〜〜……

前置きは、いいから早くしてよ!!

ぴかぴか〜〜〜!!

どこでもドア〜〜〜!!

「ありがとう、ドラえも〜〜ん!」

というわけで、ボクは、さっそく、どこでもドアをくぐり、学校へ移動しようとした。

が、そのとき、ボクの体に、悪寒が走った。
何か、とりかえしのつかないことをしてしまうような――そんな悪寒

「あ、あの・・・ドラえもん、ちょっと、聞くけどさ、<このどこでもドアって、どんな仕組みなの?」

ドラえもんはこう説明した。

今、自分の部屋にある「どこでもドア」を とし、移動先の学校にある「どこでもドア」を とする。まず、「どこでもドア A」 を通り抜けた人間は、その体を分子レベルでスキャンされ、その「分子構造」の情報が、移動先の「どこでもドア X」 へと転送される。そして、「どこでもドア X」 の方で、転送された情報をもとに、一瞬にして、その「分子構造」を再現する。




「つまり、 ドア X では、キミの肉体が再現されるというわけなんだよ」

「あれ?じゃあ、この ドア A を通り抜けたボクは、どうなるの?」

「分子破壊光線で、コナゴナ。一瞬にして、消え去るよ」

「えええ!?ちょ、ちょっと待ってよ、それって、ボクが死ぬってことじゃないの?

「違うよ、向こうの ドア X では、キミがちゃんと生きていて、学校で授業を受けるんだ」

「いや、それは違うでしょ!だって、『このボク』のこの体が、消えるんだよ!」

「でも、体も脳も記憶も同じキミ、―つまり、肉体的にも心理的にも同じキミ―、が向こうに現れるわけだから、キミは消えないよ

「いやでも、ドア Xから出てきたボクが、本当にボクだっていう保証なんかないでしょ!前回の思考実験によれば、『ボクの体と、完璧に同じ分子構造のもうひとつの体』なんか原理的に再現できないって言うじゃないか!だから、ドアXで再現されるのび太は、あくまで『のび太に似ているだけの他人』なんだ!」

「いやいや、のび太くん、それはまったく違うよ。まず、『のび太である、つまり、キミであること』についていえば、キミの肉体をまったく完璧に再現する必要なんてないんだよ。それどころか、『完璧に再現する必要がある』と言ってしまえば、キミにとって好ましくない結論になるよ」

「ど、どういうこと?」

「もし、キミが『完璧に同じ分子構造の肉体でなければ、自分とは言えない』と主張するんだったら、
 『この一瞬だけが自分であり、次の瞬間は自分ではない、まったく違う他人である
という主張も同時に受け容れなくてはならなくなるよ。
 だって、『次の瞬間のキミの体』は、『今のキミの体』とは、まったく異なった分子の配置になっているんだから。
 もっとも、もしキミが、「次の瞬間には自分が消えて他人になっている」という主張を受け容れるっていうなら、そもそも、『どこでもドアを使うと、自分が消える』というキミの心配が、瞬間瞬間、起こっているわけだから、『どこでもドアを使いたくない理由』なんか、どこにもなくなるけどね。
 ――で、本当に、そう思うの?」

「次の瞬間のボクは、もう同じボクじゃない……?いやいやいや、それは違うと思うよ。次の瞬間のボクが、違う他人であるはずなんてないよ。ボクは、ずっとボクだよ。寝る前のボクも、起きた後のボクも、『同じボク』だよ」

「うふふふふ〜。やっぱり、そう思うよね〜。そうすると、のび太くんは、寝る前の『十時間前のキミ』も『今のキミ』も『同じ自分』だと思っているわけだよね。でも、『十時間前のキミ』って、『今のキミの分子構造とは、微妙に違う肉体を持つキミ』なんだけど……、それでも『同じキミ』だって言うんだよね〜?」

「う、うん」

「だとすると、やっぱり、「キミであること」について、今のキミとまったく同じ肉体を再現する必要なんかないことになる。多少の違いはあっても、肉体的、心理的に「のび太」であるならば、それは「のび太」、つまり「自分」であると認めなくてはならないと思うよ。少なくとも、これから『ドア X で再現されるのび太』は、『1時間後ののび太』よりは、確実に『今ののび太』の方に近いんだ。それを『自分じゃない』と言える根拠なんかないし、もし『自分じゃない』と言い張るなら、『1時間前のキミ、1時間後のキミは、今のキミとは違う他人だ』ということを認めなくてはならない。どちらにしろ、どこでもドアを使いたくない理由にはならないよ!のび太くん!

「でも、でも、……向こうのドア から出てくるのび太は、ボクとは違うココロを持っていると思う」

「ココロ?」

ドラえもんは、まるで意味不明の呪文でも聞いたかのように、しばらく動きを止めた後、突然、異常なほどの大声で笑い出し、腹を抱えて転げまわった。


「キミは常々、『人工知能であるドラえもんにココロがあるかどうかなんて誰にもわからない。そして、人間にだって、ココロがあるかどうかも、原理的に絶対に、誰にもわからない。だから、ココロを持っているかどうかを問いかけるのは、ナンセンスなことだ』と言っていたじゃないか。
 そして、『でも、自分にとっては、ドラえもんも、しずかちゃんも、ココロがあるように見えるんだから、それで充分だよ』とチューリング的な立場で、『ココロ』というものを捉えていたじゃないか。
 だったら、安心しなよ。少なくとも、ドア X から出てきた『のび太』のことを、しずかちゃんもママもパパも、『のび太のココロを持った存在』として、相変わらず認識してくれるよ。だって、そう見えるんだしさ」

「いや、違う!それでも、そいつは、ボクとは『違うココロ』の人間なんだ!

「どうしてだい?だって、他人からすれば『ドアAをくぐるのび太』 も 『ドアXから現れたのび太』 も、まったく同じで、見分けはつかない。どちらも「同じココロ」を持った人間にしか見えないんだよ!

違う、違うよ!ドラえもん!絶対に、違う!確かに、『他人にとって、ボクのココロ』は、そういうものかもしれない。でも、『このボクにとって、ボクのココロ』は、そういうものじゃない!向こうのドアから現れたのび太のことを、世界中の人が 「ボクだ」 と言ったとしても、そいつは、決して『このボク』じゃない!!  『ほんとうのボク』のココロを持った人間じゃないんだ!
 ドラえもん、やっぱり、おまえはココロを持たないただのロボットなんだな!だから、『このボク』が消えるかもしれないのに、そんな態度でいられるんだ!」

「でも、のび太くん!毎日、顔をあわせている、しずかちゃんも、ママも、パパも、すでに、何度も、この道具を使っているよ。それでも、キミは、何の態度も変えず、一緒に生活を続けてきたじゃないか。彼らに『ほんとうの彼らのココロ』があるかどうかなんて、最初から、キミにとっては、どうでも良いことだったんじゃないか?
 そして、それは、他人の側、社会の側からすれば、まったく同様のことさ。キミに、ほんとうのキミのココロがあるかどうかなんて、キミ以外にはまったく関係のない、どーでもいいことなんだ!
 社会も、両親も、友達も、恋人も、どんな親しい人間でさえ、『のび太』という形式・記号が存在し、それが機能さえしていれば、仮にキミのココロなんかなくなっていても、『そっくりな別人のココロ』に入れ替わっていても、そんなことどーでもいいんだよ!
 だって、他人には『ほんとうのキミのココロ』を知ることなんて絶対にできないんだから!結局、『ほんとうのキミのココロ』なんか、この世界の誰も必要としていないんだ!

違う!違う!ドラえもんは間違っている!そんな話、絶対に認めるわけにはいかない!

のび太は、『どこでもドア』の前で、崩れ落ちるように膝をつき、そして、ハラハラと涙を流した。
「ココロ、タマシイ、イシキ」、普段考えたこともない、哲学的な問題が、のび太の頭をグルグルと駆けめぐった。
ひとしきり泣き終え、いくぶん落ち着きを取り戻してきたのび太に、ドラえもんは問いかける。

「どうするの、のび太くん?本当に、嫌なら、歩いて学校に行く?」

結局、その言葉で、のび太の思考が辿り着いた結論は、あまりに日常的なものだった。

――でも、いまさら、学校に歩いてなんて……いけるわけないよな。

みんなが『どこでもドア』で便利に生活しているのに、自分だけが、これから、毎日、徒歩で移動し続けるなんて、耐えられそうになかったのだ。

「じゃあ、行ってくるよ……」

――そうさ、大丈夫だよ。みんな使っているんだし。案外、気がついたら、学校の前にいて、な〜んだって思うだけかもしれない。

こうして、ボクは『どこでもドア』をくぐった。


――ドアの向こうの『ボク』が『このボク』でありますように。

そう願いながら……


「いってらっしゃい。勉強がんばってね」



扉をくぐる瞬間、ボクの最後の視界に映ったドラえもんの笑顔は、なぜだろうか、ひどく無機質で、おぞましいものにみえた。


(続く)
『てつがくフレンズ』

⇒(続き) 『てつがくフレンズ』


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玲音「serial experiments lain」