矛盾
そもそも、矛盾というものは、「
公理」によって存在しているにすぎない。
たとえば、矛盾というのは、こんな感じだ。
1)「AはBである」
2)「AはBではない」
3)「AはBである。AはBではない。は同時に成り立たない。」
↓
結論)矛盾じゃん!
上記の場合、1)2)3)が公理だ。
公理とは、「
証明できないけど、とにかく正しいんだよ!」
という暗黙の了解(思い込み)である。
でもだ。
「
なんで、それじゃあだめなの?『AはBである』『AはBでない』が同時に成り立っても、別にいいじゃん。成り立っちゃいけないって、アンタがそういう公理を勝手に持ち出して、勝手に作ったことでしょ?なんで、そんなのに従わないといけないの?」
と問い詰められたとしたら、結局のところ、
「
うるさい、そうに決まってんだよ!」と言うしかない。
「
だって公理なんだも〜ん」ということだ。
実際、量子力学によれば、光は「粒子」として観測されることもあれば、「波」として観測されることもある。だが、常識からすれば、「光」は「粒子と波のどちらかである」はずであり、同時に成り立つことなんかありえないと思える。でも、いくら常識と違っていようが、現にそうなのだから、光から言わせれば、
「
それがどーした。んなこたあ俺には関係ねぇ。そんなのおまえらの考え方がおかしいんだ」
ということになる。
結局のところ、
人間が作り出さないかぎり、矛盾なんて存在しない。
たとえば、√-1なんか、普通に考えたら絶対に矛盾だ。実数しかないとする理論体系の上では、「2乗したら、−1になる数」なんて絶対に存在しないことが簡単に証明できるし、そんな数を想像することもできない。
でもだ。
「2乗したら、−1になる数、
虚数<i>があるとしちゃいましょー」
ということにすれば、もう√-1は矛盾ではなくなる。
「
だって、そういう数字があるんだも〜ん。あるって決めたんだも〜ん」
ということだ。
つまり、
「
矛盾が無くなるように、『そういう数字があるという公理』に変更しちゃいました(^^)v」
ということだ。
だから、誰かが「
それは矛盾だよ!」と言ったとしても、それは単に『
自作自演』なのだ。
だって、「
そういう矛盾が発生するように、『公理』を勝手に決めた」のは、そいつ自身なのだから……。
我々が「矛盾」に出会ったときに本来すべき行動は、「矛盾そのもの」の解決ではなく、
「
矛盾を構築している公理(勝手に真だと考えているもの)の発見」と、
「
その公理の変更」なのだ。