公理(3)ルイスキャロルのパラドックス

公理とは、「証明不可能な暗黙の了解」である。
すべての理論体系(科学、数学、哲学など)は、いくつかの公理から、論理的に導き出された構築物である。

だが、「論理さえ公理(暗黙の了解)にすぎない」と『不思議の国のアリス』の作者であるルイスキャロルは、自分の作中で述べている。

以下は、その内容の要約だ。
アキレスは、頭の回転の遅いカメに、ある命題が論理的に正しいことを説明しようとしていた。

前提1 A=B である。
前提2 B=C である。

結論  A=C である。

アキレス「というわけだ。つまり、論理的にこうなるのさ」
カメ「ん〜、わからないよ」
アキレス「論理的に考えたら、間違いなくこうなるだろ!」
カメ「ん〜、なんで間違いなく言えるの?僕もそんなに馬鹿じゃない。A=Bはわかった。B=Cもわかった。でも、A=B、B=Cだったら、どうしてA=Cになるの?何の必然性もないじゃない。ちゃんと、説明してよ」
アキレス「だから、A=B、B=Cが正しければ、A=Cが成り立つんだってば!」
カメ「そんなこと どこにも書いてないじゃないか。そんな前提があるんなら、それをちゃんと追加してよ」
アキレスは、仕方なく、それを追加する。

前提1 A=B である。
前提2 B=C である。
前提3 前提1、前提2が正しいとき、A=Cが成り立つ。

結論  A=C である。

アキレス「どうだ?これでわかっただろ!」
カメ「ん〜、やっぱりさっきと同じだよ。前提1,2,3はそれぞれ理解したよ。でも、それでなんでA=Cになるのかわからないよ。どうして?」
アキレス「だ・か・ら〜、論理的に考えれば、そうなるだろ!」
カメ「どうして?論理的だからとか、そんなお題目はいいから、ちゃんと説明してよ」
アキレス「よく、みろよ!
『前提1、前提2が正しいとき、A=Cが成り立つ』
って、前提3で言っているだろ!」
カメ「なるほどね。前提1と前提2が正しいという条件が付けば、A=Cになるんだね。」
アキレス「そうだ」
カメ「じゃあ、そうするとさぁ〜、前提1と2と3の全部が正しく成り立つときに、初めてA=Cになるって言えるんじゃないの?」
アキレス「う……。ま、まあそのとおりだが」
カメ「さっきと同じだね。そんなこと どこにも書いてないじゃないか。ちゃんと、厳密にやってよ〜。それが論理的ということじゃないの〜?」
アキレス「……………」

こうして、アキレスは、さらに
「前提1、前提2、前提3が成り立つなら、A=Cが成り立つ」
という新しい前提4を追加するハメになり、それが永遠と繰り返されるのであった。


さて。このルイスキャロルの物語は、つまるところ
「A=B、B=Cならば、A=C」という基本的な論理に対しても、そうなるべき必然性などなく、それを論理的だと信じている人も、結局は、
だ・か・ら〜、成り立つんだってば!てめえ、いい加減にしろよ!
という非論理的な部分に依存している、ということを示している。

結局のところ、
論理性というものも、暗黙の了解によって成り立っており、それは証明不可能な前提のひとつであって、本質的に公理と同様である
ということであり、我々が行う論理的思考とは、実は、「証明不可能な思い込み」のひとつなのである。

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