相対主義の始まり B.C.450年頃

神話という迷信が崩壊し、
「じゃあ、一体、この世界(自然)ってなんなんだぁ〜?」という
疑問から始まったのが「自然哲学」である。

その自然への探求の成果として、デモクリトスは、
自らの思考だけで「原子論」という、当時としては、究極に近い理論を作り上げた。
しかし、結局のところ、
「ふ〜ん、で、それって本当なの?」という疑問しか残らなかった。

実際のところ、科学技術も発展していないほどの大昔なのだから、
実験による理論の確認もできなかったわけで、
自然哲学については、もうこれ以上の発展は望めなかったと言ってもいい。

こういうことに気づき始めた哲学者たちは、自然哲学に対して、急激に冷めていく。

さて、このデモクリトスとほぼ同時代、
ギリシャでは、都市国家(ポリス)を形成し、民主主義の黄金時代を築き上げる。

この民主主義社会……はっきり言って、本当に天国である。
なにせ、働くのは異民族の奴隷なのだ。
そして掃除・洗濯などの家事は、すべて女がやる。
だから、当時の男はといえば、……することが全然なかった!!
なので、スポーツで体を鍛えたり、みんなで集会ひらいてダベったり……
と、はっきりいって「ヒマ」を持て余していた。

こんな時代だもの、「自然」に対しての関心が急激に薄れていくのは当然だ。
もはや、「自然」は脅威ではない、そんなことはどうだっていいのだ。
それより、重要なのは、
「このヒマを持て余す社会の中で、どうやって楽しく生きていくか」である。

じゃあ、そんな社会でうまいことやっていくには、何が一番大事だろうか?

民主主義国家においては、そんなの決まっている。
「クチのうまさ」……それ以外にない。

当時の民主主義社会の舞台は、市民集会と裁判所である。
だから、言葉を巧みに操り、多くの人を納得させる話術を持った人間がトップにたち、
富と名誉と権力を得るのである。それは今も昔も変わりはない。

だから、当時の男たちは、みんな、偉〜い先生たちのところへ教えを請いに行った。
もちろん、知識の習得や真理の探求のためではない。
すべては「隣りのヤツに口げんかで勝つための話術を得るため」である。

というわけで、この時代では、「弁論術」など、
「他人を説得するための話術」を教えることを生業とする「ソフィスト」
という職業が大流行したのである。

さてさて。
「弁論術」を学んだ男達だってバカじゃあない。
議論を重ねるうちに、だんだんと、あることに気がついていく。

「あら〜?どんなに正しく聞こえる言葉でも、必ず、反論って成り立つんだなぁ」

そう。こうした時代背景のなかで、ギリシャの人たちは、
「なぁ〜んだ。言葉の上では、なんとでもいえるもんなんだね」
ということがわかり始めたのだ。

結局のところ、
「人を殺してはいけない」という議論ですら、
そんなの賛成でも反対でもいくらでも言えるということだ。
そして、そのどちらが正しいかなんて、言葉の上では絶対にわからない……。

なかには、
「オレに任せれば、賛成側だろうが、反論側だろうが、
 どっちについても議論に勝てるぜ」
というフレコミで高い金額を要求する弁論家も出てくる。
(そして、実際に勝ってしまう。だって、クチがうまいから)

そうなってくると、
「善とか悪とか…そんなもの、クチのうまさで、ど〜にでもなる。
 結局、価値観なんてのは相対的なもので、
 そんなもんヒトそれぞれさぁ〜。
 絶対的な真実なんてありはしないのさ〜」
という風潮が、世間に広まっていく。

おっと。まるで、現代人の若者みたいではないか。
そう。「人間の価値観は相対的」なんて言葉、別に新しいことでもなんでもない。

紀元前の昔、ギリシアという豊かな都市において、
そんなことは、とうの昔に起きたことなのだ。

ともかく。
こうして、相対主義の時代が始まった。