デモクリトス B.C.420年頃

B.C.450年頃、エンペドクレスは、
「地・水・火・風の元素が、結合することで、世界が成り立っている」
と考えた。

それから、B.C.420年頃。
それに磨きをかけ、「原子論」を作り出したのが、
デモクリトス(とその師匠レウキッポス)である。

デモクリトスは、「決して変化せず、消滅しない存在」として、
「原子(アトム)」という粒子を考えた。

ようは、リンゴをどんどん分割していったら、最終的には
「これ以上は分割することできない究極の粒になる」と
デモクリトスは考えたのだ。

まぁ、ここまでは、エンペドクレスの考えに近いのだが、
デモクリトスが本当に偉かったのは、アトムが存在し運動する場所として、
「空虚(ケノン)」の実在を唱えたことにある。

ようは、ビリヤードの玉が動くためには、ビリヤード台が必要なように、
原子が運動するための場所として、「空虚な場所(空間)」が必要だと考えたのだ。

これは、今までにない発想であった。

「ないものはない」というのが、それまでの哲学だったからだ。
だが、デモクリトスは言う。

「『無い』ということも、『ある』と同様に存在である」

これは面白い。
「ない」と言いつつも、それを人間が認識して、
「ない」と表現している以上は、それもひとつの存在だと認めてよいはずだ、
という重要な発想である。

こうして、デモクリトスは、

「何もない空間で、原子が運動し、
 結合・分離を繰り返すことで、
 世界が成り立っている」

という「原子論」を作り上げたわけだが……、
こんな近代科学に通じる発想を、紀元前400年の昔に、
思考だけで作り出せたのは、驚きである。

ちなみに、デモクリトスは、
この世界は、すべて「原子」という物質で構成されているのだから、
死ぬとは、構成されている原子がバラバラになることであり、
死後の世界もなにもありゃしない、
と「唯物的世界観」をはっきりと述べた人でもあった。

また、「原子の運動は、確実な法則によって成り立っているのだから、
世界のすべての現象は必然である」と考え、
「人間には自由意志はない」として「機械的世界観」を述べた人でもあった。

こんなデモクリトスだが、
実はとっても お気楽で明るい性格だったらしく、「笑う哲学者」というあだ名が
つけられており、100歳という驚くほどの長生きをしている。
おそらく、デモクリトスは、唯物論者として、多くの批判を受けたと予想されるが、
その明るい性格から、どの哲学者よりも素晴らしい人生を送ったと想像される。

しかしながら…。
残念なことに…、この時代には、電子顕微鏡もなければ、化学も発展していない。
だから、この時代に、デモクリトスが、
原子論を唱えても、それを確認することができなかった。

デモクリトス自身も、
「まあね〜、自然の探求なんてさ、
 やっても結局、机上の空論にすぎないよねえ(笑)」
と述べている。

こうして、B.C.600年のタレスから始まった自然哲学の探求は、
最後の自然哲学者であるデモクリトスで、終了となる。

いわば、哲学史(自然哲学編) 第一部完である。

デモクリトスが、当時の自然哲学として、行けるところの限界まで、
行ってしまったのだから仕方ない。
これ以上の発展は、科学技術が進歩するまで待つしかなかった。

それまで、原子論は眠り続ける……。

そして、哲学史は「自然」から離れて、別の主題へとうつっていく。