脳分割問題(3)

●右脳にも左脳にも『ボク』がいる場合

では、

『ボク』というイシキは、『脳という機械が作り出した一種の現象』である

という考え方はどうだろうか。
つまり、

人間の意識は、『脳のようなある程度複雑な機械』が生じた時点で、自動的に発生するものだ。魂とかそんなものは存在しない

という考え方だ。
(おそらく、魂を信じない多くの人は、この考え方をするだろう)

そうすると、脳分割(肉体分割)をされて、たまたま、『ボクが、左脳の視点から世界を見ていた』とき、右脳にも『同じようなボク』がいて、左脳の『このボクと同様に見たり、感じたり』していることになる。

その場合、はっきりしていることは、『ボク』という存在は、唯一無二のユニークな存在ではなく、いつでも分裂可能な存在ということになる。
(もし、技術が進んで、左右の脳の連絡網である脳梁を復活させることができたとすれば、融合も可能だろう)

そうすると、『このボク』の意識は、
脳を壊せば消え〜る
脳を分割すれば、2つにな〜る
脳を融合すれば、1つにな〜る

という存在であるということになる。

まぁ、それはそれで良いとしても、よくよく考えてみると、ある疑問がでてくる。

それは、

なぜ、『このボク』は左脳だったのだろう?

という問題だ。

だって、脳をスパーンと包丁で分割した瞬間、脳は「ふたつになる」わけだから、『このボク(現に、今、みている世界)』は、どちらの脳の視点でも良かったはずである。もし、たまたま、『ボク』が一方の脳の視点から、世界をみていたとしても、別に「反対の脳でも良かった」はずである。
逆の脳で世界を見ているボク』がいるのなら、『このボク』は、そっちでも良かったはずである。

これは、とても大きな問題である。


たとえば、あなたが、凶悪なロボットに誘拐されて、

「よくもやってくれたね。お返しに、今、キミの右脳に爆弾を埋め込んだよ。これで、一分後に、阿鼻叫喚、筆舌に尽くしがたい激痛を感じて、右脳がドロドロに溶けることになる。でも、僕は優しいから、一度だけチャンスをあげるよ。脳梁を切断してあげる。もし、次の瞬間、『キミ』が、左脳として『世界』を見ていたら、『キミ』は助かるよ」

と言われたとしよう。

『ボク』は間違いなく、脳梁が切断された瞬間、左脳として、世界が見えることを望むだろう。

もし、実際に脳梁が切断されて、次の瞬間、右脳として世界を見ていたら……、「いやいや、左脳にもボクがいて、同じように世界を見ているよ♪」なんていわれたところで、納得がいくはずもなく、「じゃあ、なんで、ボクは、そっちじゃなかったんだよぉぉ!」と大騒ぎするだろう。

なぜ、『ボク』は、『このボク』だったのだろう?

『別の可能性のボク(別の脳のボク)』でも良かったはずなのに……。

しかも、この疑問は、何も「自分の脳の話」だけではない。脳分割について、このような疑問が成り立つのであれば、それは、他人の脳についても同様の疑問が成り立つことを意味する。

そもそも、脳が、単なる「意識を発生させる機械」であるとしたら、その機械は、この世界に、何十億個とすでに存在しているわけだが、

なぜ、ボクは、その何十億個の脳のなかの『この脳』の視点で、世界を見ているのだろうか?『このボク』は、アイツの脳であっても良かったのである。
もっと、かっこよくてお金持ちの男の脳が、『このボク』であっても良かったのである。林原めぐみと結婚している男の脳が、『このボク』であっても良かったのである!

結局のところ、「人間の意識なんて脳という機械によって発生しているだけさ」と単純に考えたとしても、この点についてだけは、合理的な説明を行うことが出来ないのだ。

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でも、まさにそのことが問題なんだ。
他の体を殴られても痛くもかゆくもないのに、その体を殴られると「とにかく痛い」。
他の目からは、何も見えないのに、その目からは世界が「現に見えてしまう」。

そうしたすべてが凝縮した身体が、なぜか1つだけあって、1つしかないんだ。
それが『私』だ。端的にわかるだろ?

でも、何がその身体をそんな特別なものに、たらしめているのか、
それがわからないんだ。
それが問題なんだよ。

永井均

『てつがくフレンズ』第31話

⇒(続き) 『てつがくフレンズ』