脳分割問題(2)

脳分割患者への実験で、はっきりしたことは、脳梁を切断して、左右の脳への情報伝達を物理的に断ったとき、
左脳にだけ入力された情報は、左脳しか知らない
右脳にだけ入力された情報は、右脳しか知らない
という科学的にはごく真っ当な結論だった。

ここでちょっと、脳分割手術を「他人に起きたこと」ではなく、「自分に起きたこと」という視点で、実際に想像してみて欲しい。

つまり、もし、今、この瞬間、『自分』が脳分割手術をされたら、どうなるか?を想像してみて欲しい。

まず、間違いなく、はっきりしているのは、脳が分割された瞬間、『ボク』は、右脳と左脳のうち、どちらかの脳として、世界を見ているということだ。

この話をわかりやすくするため、もっと極端に分割した場合を考えてみよう。ていうか、脳梁だけを分割なんてケチなことを言わずに、せっかくだから、より盛大に、肉体全部をスパっと切断してしまおう。

たとえば、
『ボク』が道を歩いていたら、いきなり南斗聖拳の使い手が現れて、「ヒョゥ!」と、目にもとまらぬ速さで、僕の体を切断してしまった……というありがちな事態を想定してみよう。

すると、僕は「あれ?あれれれれれれ?」と言いながら、体が、真っ二つに割れていくことになる。

さぁ、ここで、瞬間冷凍だ!!!
死んでしまう前に、氷付けにしてしまおう。

そして、凍った左半身(左脳)を日本へ運び、もう一方の右半身(右脳)をアメリカへ運ぼう。

そこで、それぞれの半身を解凍して、景色を見せてあげる。

はたして、このとき、『ボク』は、どんな景色を見るだろうか?
間違いなく、はっきりしていることは、『ボク』は、「日本の景色を見ているか」「アメリカの景色を見ているか」のどちらか である。

つまり、目を開けたときに、
東京タワー
という映像が、僕の意識の上に映っていたら、『ボク』は、日本にある左半身(左脳)で、『世界』を見ているということになるし、
逆に、
実はお台場の女神像
という映像が、僕の意識の上に映っていたら、『ボク』は、アメリカにある右半身(右脳)で、『世界』を見ているということになる。

少なくとも、『ボク』が、両方の『世界』を『同時に見ている』ということはありえない。

これは、脳分割患者に行った実験で、完全に自明である。もし、『ボク』が両目に映る『世界』を『同時に見ている』のなら、どちらの目で文字を見ても、その内容を答えられたはずである。だが、実際には、右脳の目で見たものを、左脳は答えることができなかった。

もちろん、左半身も右半身も、それぞれの目で、それぞれの景色を見ていると思われるが、少なくとも、『ボク』という意識は、
気がついたら、東京タワーの前にいて、左半身がすっごい痛い!右半身はどこでどうしているの!?
という状態として存在するか、
気がついたら、自由の女神の前にいて、右半身がすっごい痛い!左半身はどこでどうしているの!?
という状態として存在するか、のどちらかであり、
気がついたら、左目から東京タワー、右目から自由の女神が見えて、うわ、なんか、体全体が痛い!
という状態では存在しえないのである。

では、仮に、実際に、今まで述べたような脳分割(肉体分割)を行って、たまたま『左目に写る景色(東京タワー)だけが見えた』としよう。このとき、『ボク』は、『左脳の視点から世界を見ている』ことになる。

では、このとき、右脳にいるのは、一体何者だろうか?

右脳だって、目で見て判断できるし、手を動かしたり、考えたりもできる。手をツネられたら痛たがるし、悲しい目にあえば、顔を歪めて涙を流したりする。

たまたま、気がついたら、『ボク』が左脳だったとき、もう一方の右脳には、いったい何者がいるのだろうか?


●ボクはボクだけであり、右脳には誰もいない場合

もし、『ボク』という魂のようなものが存在し、『ボク』が死後も永続するような唯一無二の存在であるのなら、『ボク』は『ボク独り』だけであるはずだ。だから、もし『ボク』が、「左脳」で世界を見ているとしたら、それは脳が分割された瞬間に、「ボクという魂が、左脳へ移動した」ということになる。

そうすると、右脳は、『ボク』のいない、つまり、『魂のない脳』ということになり、右脳が、どんなに痛みや悲しみを感じているようにみえても、実際には、それを感じる主体が存在しないのだから、ソイツは、自動人形、ロボットということになる。

ところで、人間は、脳を分割して、片方の脳を頭蓋骨から取り出して捨てて、片脳だけにしても、生きていくことは可能である。実際に片脳だけで生きている人間は存在する。

もし、技術が進んで、取り出した方の脳が担当していた機能を補佐するような機械を取り付けることができたら、本当に、常人と変わらず、泣いたり、笑ったり、誰かと恋をして、人生を全うすることも可能だろう。

だが、それでもなお、たとえ人間らしく生きているように見えても、彼は、「2分の1の確率」で、「」も見ていない、「痛み」も感じていない、哲学的ゾンビということになる。
(2分の1の確率で、魂の入っている方の脳を捨ててしまうのだから)

よく哲学的ゾンビの批判として、
人工的に脳なんかを作っても、そこに魂がなければ動かないはずだ。だから哲学的ゾンビなんか作れない!魂がなければ、人間は動かないのだ!
と言う人がいるが、
現に、脳分割という手術があり、右脳も、左脳も正常に、独立して別々に機能しているのだから、もし、魂というものが、「分割したり、融合したりしない、固有(ユニーク)で永続的な何か」であり、一方の脳にしか『主観的な体験を伴うボク』がいないのだとしたら、「正常に動いて、泣いたり笑ったりしている、もう一方の脳」は哲学的ゾンビだと言うしかない。

結局のところ、脳分割問題を考えていくと、
我々は、唯一無二の魂の存在を認めるなら、同時に、魂を持たない人間(哲学的ゾンビ)の存在も認めなくてはいけない
という逆説的な結論が出てくるのである。

もしも、「哲学的ゾンビが可能である」ならば、脳は、魂なんかなくても、全然問題なく人間っぽく生きることができることになるし、
寝ているときに一時的な脳死が起きて、魂が抜けてしまったが、朝には、何事も無かったかのように、脳が正常な機能を取り戻し、内面的には死亡した肉体が布団から起きて、学校や会社に行き、日常生活を続ける……
という人間の存在を考えることも可能になる。

「死んでも魂は不滅だから、生まれ変わったら、また愛し合おうね」

来世での再会を誓い、心中する恋人たち。

もしかしたら、その一方は、「魂のない脳」の持ち主、哲学的ゾンビかもしれない。

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『てつがくフレンズ』第30話

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