波派VS粒子派の戦い(3)
さぁ、話が複雑になってきた。
ある実験結果(干渉実験)を見ると、「光は波」だとしか言いようがないのだが、
別の実験結果(光電現象)を見ると、どうも「光は粒子」としか言いようがない。
おかげで、教授たちは、学生から「
この現象はどうして起きるのですか?」と問われたら、「
これは、つまり、光が波だから……」と説明し、「
じゃあ、こっちの現象は、どうして起きるのですか?」と問われると、「
そ、それは、つまり、光が粒子だから……」と説明する羽目になった。
当時は、「
科学者は、曜日によって、光を 波と言ったり、粒子と言ったり、使い分ける」という笑い話ができたほどである。
さて。
では、「
光は波という実験結果」と「
光は粒子という実験結果」の一体どっちの実験結果を信じればいいのか?
いやいや、科学にとって、実験結果こそすべてだ。どっちかの結果を信じるかという議論なんかない。2つの実験結果が、現実として存在しているのだから、その2つの実験結果は、両方とも正しいのだ。
もし、ボクたちにとって、2つの実験結果が、互いに
矛盾しているように見えるとしたら、
おかしいのは、実験結果ではなく、「矛盾」だと考えるボクたちの思考回路の方なのだ。
だから、もう素直に降参して、
「
光は、波として観測されることもあれば、粒子として観測されることもあります。世の中は、そういうもんなんです」
と素直に認めるしかない。それが、現実なのだから。
とにかく。
光という存在について、
「
干渉の実験」をすると、「波」という性質を持っているという解釈が必要になり、「
衝突の実験」をすると、「粒子」という性質を持っているという解釈が必要になるのだ。
ここから、「
光は、波であり、粒子である」という結論になる。
だって、実験結果(現実)が、そうなんだもん。
しかたない。こうなれば、引き分けだ。どっちもよくがんばった。
しかし!!
話はもっともっと複雑になっていく。
「光は波で粒子です」という話を聞いて、こんな大胆なことを考えたヤツがいた。
「そうか〜。波だと思われていた光を、粒子だと考えることで、今まで謎だった現象を説明することができたんだね〜。……………………そうだ!だったら、逆に、今まで『粒子』だと思われていた電子を、思い切って実は『波』だと考えてみよう」
ド・ブロイという科学者だ。
彼は、なんと、「
明らかに粒子だと考えられていた電子」を
『波』だと捉えなおしてみたのである。すでに、科学的見地から、
「粒子」だとわかりきっている存在について、「波」だと考えてみようと言ったのだ。それはあまりに常識ハズレの
トンデモ科学の行為だ。
(電子が、粒子だという確実な実験的証拠はいくらでもあるのだから)
だが、ド・ブロイは、電子を波だと捉えなおすと、それまでの科学理論では、説明できなかった電子の不思議な挙動が、合理的に説明できてしまうことを発見してしまったのだ。
(そして、電子でも、
干渉縞を作れてしまうことが発覚する……)
ありゃりゃ。
当初、「
波動性と粒子性を2重に持つ」というヘンテコなモノは、光だけだと思われていたが、
電子もそうだったのである。電子も、「波であり、粒子である」というヘンテコなモノだったのだ。
こうなるともう止まらない。一気に傷口は広がっていく。
最終的には、
「
『原子』も波で粒子だし、『分子』も波で粒子だ」
ということが、次々と発覚していく。
結局のところ、光や電子が、特別だったわけではなく、「
この世界のすべての物質」が「
波であり粒子である」というヘンテコなものだったのだ。
とりあえず、ここからわかることは、どうやらこの世界は「原子(粒子)の集まり」や「エネルギー(波)の集まり」といったもので単純にできているわけではないということ。
もしも、あなたが、
「
この世界は、原子という粒(ボール)の集まりで、それがバラバラになったり、組み合わさったりして、成り立っている」
という単純で機械的な世界観をもっていたとしたら、まったくもって、見当違いな世界観の中で、生きているということになる。