波派VS粒子派の戦い(1)

もともと。
光は波なのか?粒子なのか?」という問題は、実は、結構古く、ニュートンの時代(1600年頃)から論争になってきた。

つまり、科学者同士で、「波派」と「粒子派」にわかれて、「オレの説が正しいんだ!」と長いこと喧嘩をしてきたわけだ。

で。
ニュートンの時代には、フックをはじめとして、「光は波だ!」と主張する科学者もたくさんいたのだが、学問の神様ニュートンが「光は粒子です」なんていい加減なこと言っちゃったもんだから、この論争は、「光=粒子」ということで落ち着いてしまった。

もちろん、「光は粒子だ」なんて理論は、フックなどの「波派」にとっては、

「光に向かって、光を当てても、衝突しないで、通り過ぎるでしょ〜が!?これは光が粒子ではなく、波だっていう確実な証拠じゃないか!?光を粒子だと考える理由なんか、どこにあるの!?」

と単純に否定できることだったし、当時の実験的証拠からは、「光は波だ」と考えるのが妥当だった。

しかし、最終的には「偉大なニュートンが言うんだから、光は粒子なんだろう」ということになって、それから、かな〜り長い間、たいした根拠もないのに、「光は粒子だ」ということになってしまったのである。

それから200年も経って、ヤングが、光を使った「干渉実験」で、「光で干渉縞ができる」ということから、「光はやっぱり波だった」ということになる。
(ただし、学会は、粒子派(ニュートン信者)が多数だったので、ヤングは、発表当時、学会から冷たい態度をとられる)

さて。
このヤングの干渉実験についてだが。

まず、波の特有の性質である「干渉縞」という現象について説明しよう。

たとえば、静かな池に、小石をひとつ落とすと、円形に波紋が広がってゆくが、小石を2つ落とすと、2つの波が重なり合って、複雑な模様をつくる。
なぜ、こんな模様ができるのか?
それは、2つの波が合わさったとき、波の山どうしが重なったところでは強めあって山がさらに大きくなり、山と谷が重なったところでは弱めあって消えてしまい、結果として、「波の高い場所」と「波がない場所」が模様として見えるのである。



ここで、重なり合う2つ波の波長が同じとき、
(つまり、2つの波が同じタイミングで上下するとき)、
常に重なり合って波が高い場所」と「常に打ち消しあって波がない場所
の2つができるので、それがシマ模様にみえることになる。
これを干渉縞と呼ぶ。
ようするに、干渉縞とは、文字どおり、2つの波が干渉しあってできるシマ模様のことだ。

この干渉縞という現象は、水でも、音でも、波であれば同様に起きる。たとえば、水だとこんな感じにみえる。



で。
この干渉縞は、光でも作り出すことができるのだ。上図と同じ事を光でやると、右奥の壁にシマシマ模様が映し出される。

干渉縞は、波特有の現象で、「粒子」では決して説明のつかない現象なのだから、「光は、波である」という明らかな実験的証拠となった。

こうして、ニュートンの権威によって200年余り続いた「光は粒子だ」理論が破れ、「光は波だ」理論が、逆転勝利をおさめるのである。


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