飲茶教 教祖の言葉(1)

「悪いことをしたら地獄に落ちる」
「いつも神様が見ている」
「死後に罰を受ける」
「だから、悪いことをしてはいけない」

では、
君は、警察に捕まって罰を受けるから、
モノを盗まないのかね?

だとしたら、それは、ただの打算であり、
そんな生き方に、どんな宗教的価値があるというのか。

真の宗教は、天国も地獄も 罪も罰も
一切必要としないのだ。

飲茶教 教祖の言葉(2) なぜ、人を殺してはいけないか?」

この問いについて、
古来からたくさんの議論が交わされてきたが、
未だかつて客観的絶対的な答えが導き出されたことはない。

しかし、ひとつだけいえるのは、
もし、人間が「人を殺してはいけない」という
固定的なルール(社会の暗黙の了解)に従って殺さない、
もしくは、「自分が殺されたくないから」などの
功利的な理由から殺さないのだとしたら、
そこになんの命の尊厳も見出すことはできない、ということだ。

まったく皮肉な話だが、
「人なんか殺してもよい。そういう自由も許されている」
と本気で考えている人間が、
「だけど、『私』は、人を殺さない」と
「何の前提も強制もなく 決断 した」とき、
初めてそこに尊厳が生まれるのだ。

飲茶教 教祖の言葉(3) 

「伝えることがある。
 キサマが『神』や『悟り』や『真理』と戯れる日々に……
 もの知らぬ浅はかな者供があれこれと世話を焼きたがるだろう。
 毒にも薬にもならぬ駄菓子の如き助言
 いらぬ世話をッッッ」

「一切聞く耳を持つなッ」

「禁欲の果てにたどりつく境地など
 タカが知れたものッッ!
 真理に到達したくば喰らえ!!
 朝も昼も夜もなく喰らえッッ!
 食前食後にその肉を喰らえッッ!」
 飽くまで喰らえッッ!
 飽き果てるまで喰らえッッ!!
 喰らって喰らって喰らい尽くせッッ!!」

信者「そ、そんな馬鹿な……!」