科学哲学史(3) 論理実証主義

前回のあらすじ)

 あのカラスAも黒い。あっちのカラスBも黒い!
 だから、ナマズが暴れるのは地震の前兆である!
 したがって、ワレワレの教義は、科学的に実証されています!
 さぁ、困ったことになったぞ!
 「そういう難しいことは、おれたちにまかせてもらおう!!」
 そんな状況をみかねて、やってきたヤツらがいた。
 ウィーン大学の哲学教授を中心とした、研究グループ「ウィーン学団」である。

(あらすじ終わりウィーン学団という哲学の研究グループが、混迷した科学界を救うため、
「ホンモノ科学と擬似科学の境界線を引く方法」として、
「論理実証主義」を提唱し、科学界に乗り込んできた!

ウィーン学団(論理実証主義)の考え方を簡単に言おう。

1)一見、どんな複雑にみえる理論でも、つまるところ、
  「○○は××である」という短い単純な言葉が、集まって出来ているだけだ。
  (ちなみに、こういう短い単純な言葉のことを「原子命題」と呼ぶ)

2)で、理論っていうのは、
  そのたくさんの短い言葉(原子命題)が、
  「かつ(∧)、または(∨)、ならば(⇒)」
  とかの論理的関係で組み合わさっただけなんだ。
  だから、どんな理論でも、「言葉A ∧ 言葉B ⇒ 言葉C」
  という感じで、表現できるのだ。

というわけで、ようするに、論理実証主義者にかかってしまえば、
どんな理論だろうと、ぜんぶ短い文章になるまで切り刻んでしまい、
あとは、論理体系にしたがって、

「原子命題A ∧ 原子命題B ∨ 原子命題C……」

などのように、記号の世界に置き換えて、
その理論の論理的構造を厳密に整理してくれるのだ。
このように整理された理論を、あとはじっくりと
「実験や観察によって、実証された事実であるか?」
という観点で、真偽の検証を行っていく。

そして、その検証の結果、
その理論の中に「実験や観察によって、実証されていない部分」が見つかったら、
「は〜い、この理論は、ここが実証されていませーん。
 だから、机上の空論でーす。作った人の妄想でーす」
と断言してしまうのである。

ちなみに、この論理実証主義の適用範囲はとても広く、
複雑な科学理論だけでなく、聖書でも、親父の説教でも、文章であればなんでも、
適用できてしまう。
だから、「親父の説教」を分析して、記号論理学にしたがって整理した挙句、
「おとうさん、あなたのお話は、この部分が、観察された事実に基づいていません。
 ということは、根拠のない飛躍が含まれていますので、
 今の話は、まったく無意味で、無価値です」
と厳密に問題点を指摘できてしまうのだ。

まったくもって、頭の良いエリートが考えそうな、
ミモフタモナイ無機的なやり方である!

だが、たしかに、これ以上ないくらいの厳密な判定方法だし、
感情的な判断も入りそうにない。
科学と疑似科学を判定するのに、最適な方法だと言える。

「科学であるか、そうでないか……
 それは……おれたち、ウィーン学団が決める!!」

こうして、ウィーン学団による「擬似科学狩り」がはじまった。
科学界に殴りこんだウィーン学団は、
論理実証主義にしたがって、論理的に厳密に厳密に検証を開始した。ウィーン学団だ!全員、手をあげろ!」

ナマズ地震前兆説「ひ、ひぃ〜〜。」

「きさまの理論を述べよ!
 ワレワレが、論理的に分析して検証する。
 なになに、きさまの理論の中に、まだ実証されていない仮説が
 含まれているではないか?
 きさまの理論は、本当かどうかもわからん、妄想だ!
 この擬似科学め!パァ〜〜〜ン!

ナマズ地震前兆説「ぎゃ〜〜〜!」

「次、前に出ろ!」

このように、ウィーン学団(論理実証主義)は、
次々と疑似科学を見つけ出しては、撃ち殺していった。

「ほほー、これは頼もしい。しばらく、ウィーン学団さんにまかせて、
 ワレワレはお茶でもしてこよう」

ウィーン学団の厳格さに関心した科学者たちは、
しばらく持ち場をあずけてみることにした。

が、しかし!そろそろ、疑似科学は、全部、始末できたかなっと……あれ!?」

科学者が、しばらくして戻ってみると、とんでもない事態になっていた。
たくさんの理論で溢れかえっていた科学界は、すっかり空っぽになっており、
そこにはウィーン学団しかいなかったのだ。

「あ、あの、……ウィーン学団さん、これは一体?
 疑似科学は始末したんですよね?それで、ホンモノの科学はどこに?」

「あ……。え〜と……、
 ホンモノの科学なんてひとつもなかったよ。
 だから、全部、撃っちゃった……てへ」

こうして、戦いは終わった……。

論理実証主義のように、厳密に考えてしまえば、
相対性理論だろうと、量子力学だろうと、
ホンモノの科学(正しいと確実に言える理論)には決してなりえず、
「疑似科学の仲間」にすぎないのだ。

かくして、
人類がその知性をかけて行った「科学と疑似科学の境界を決める」という試みは、
「この世界に、ホンモノの科学なんて存在しない!あるのは擬似科学だけだ!」
という、究極の結論に達した。

「科学と疑似科学の間に、境界線はない。
 ていうか、疑似科学しか存在しない」

(補足)
だから、「疑似科学?そんなの信じているヤツって、バカだよなー」と言いながら、
自分が学校でやってきた科学が、擬似科学じゃないと思っている人がいたら、
歴史を知らない良い証拠。まったくもって恥ずかしいのだ。