輪廻転生(3)前提事項: 輪廻転生(2)
チベット仏教のある一宗派(カルマ・カギュ派)は、 「輪廻転生による生まれ変わり制度」を作ったことで、大きく発展した。 「なるほど、こりゃあ、いいや」ってことで、 他の宗派もみんな真似をし始めたわけだが、 そのなかでもゲルク派という宗派は、もっとうまくやった。 強力な軍事力を誇るモンゴルの王族アルタン・ハーンに取り入ったのである。 「あなたの子孫が、モンゴルと中国を統一します。 あのチンギス・ハンのモンゴル帝国が復興するのです!」 という予言をしたのだ。 (もちろん、ウソっぱちです。 こんなふうに、宗教関係者は平気でウソがつけるのだ) とにかく、取り入ることに成功したゲルク派のエセ予言者は、 権力者から「ダライ・ラマ3世」という称号を与えられる。 そうなんです、ダライ・ラマは、いきなり「3世」から始まります。 (「1世」「2世」は、すでにお亡くなりの故人に割り当てられています) そして、次の転生者「4世」は、あまりに露骨で酷かった。 あろうことか、アルタン・ハーンの親戚から、ダライ・ラマを選出したのである。 「偉大なるダライ・ラマの転生者は、あなたさまの親族でございます!」 ってわけだ。 これには、さすがにゲルク派内部から「ちょっと、やりすぎじゃない?」と 批判が出たほどである。 しかし、まぁ、とにかく、この茶番劇により、 ゲルク派は、モンゴル軍の強力なサポートを得ることに成功する。 そして、「ダライ・ラマ5世」の時代になると、その軍事力によって、 対抗勢力をぶっつぶして、チベットの支配者となることに成功する。 1642年、ダライ・ラマ政権の誕生である。 そして、チベットの支配権を得たダライ・ラマ政権は、その威光を高めるために、 前世のスタートを観音菩薩に改め、さらに、チベットの歴史上で、偉大な人物は、 すべてダライ・ラマの前世として、前世の系譜にどんどん追加し始めた。 この威厳づけは、功を奏して、素朴なチベット人たちに、 「チベットは有史以前から、ダライ・ラマに庇護(支配)される国」 ということを植えつけることに成功している。 これで洗脳完了。素朴な民衆などチョロイものだ。 (そして、いまだに信じている人はたくさんいるし、 そのようにダライ・ラマを紹介している本もたくさんある) こうして、偉大なる「5世」が、確固たる政権の地盤を築いたわけだが、 こうなると、あとは、もう堕落と衰退の一途であった。 その次の「6世」は、性格に問題があり、酒と女にうつつを抜かす放蕩者であり、 最後は、資格なしとみなされ、失脚してしまい、 別の人がダライ・ラマとして急遽立てられる(笑) という騒ぎとなった。 結局、彼は、23歳という若さで謎の死を遂げる。(暗殺説が有力) そして…、ダライ・ラマ9世の頃になると、 この「ダライ・ラマ制度」の欠陥が、はっきりとしてくる。 そもそも。 何も知らない子供をつれてきて、「おまえはダライ・ラマの生まれ変わりだ!」 なんてやるわけだから、もちろん、そんな小さい子供が、 すぐに政治をとりしきるわけじゃない。 その子をきちんと教育して、その子が育つまでの間、国をしきる人間が必要である。 それはたいてい、その生まれ変わりの子供を見つけてきた僧が、その役を担う。 つまりは、生まれ変わりを連れてきた僧は、大きな権力を握ることができるのだ。 だから、ダライ・ラマが死んだ瞬間に、 みんな、必死で生まれ変わりを探しに行く(笑) そして、みんな、一斉に連れてくる 「「「ダライ・ラマの生まれ変わり、みつけてきました!!」」」×5人 おいおい!どれが本物だよ!(笑) そこでしかたなく、作法(というかルール)を決めて、選抜試験をする。 ダライ・ラマが死ぬたびに、 「第○○回、チキチキ!ききダライラマ、生まれ変わり決定バトル!」 が開催されるのだ。 それは、クイズ形式(笑)で、 「ダライラマが、生前、使っていたものはどれでしょう〜」と あてずっぽうにやっても、当たるような選択問題だ。 「わたしが生前、使っていたものは……この象牙の数珠……です!」 ――ピンポン!ピンポン! 「よっしゃーー!!」 こうして最後まで残った子供が、生まれ変わりとして決定される。 そのうち、どんどん不正がはじまる。 試験問題の流出はまだいい方で、暗殺が、当たり前のように起こり始める。 実際に、9世〜12世までは、立て続けに、若いうちに死んでいる。 (このあまりに不自然な連続死は、毒殺だと考えるのが妥当だろう) ちなみに、「13世」は長生きした。 彼は、非常に用心深い性格だという記録が残っており、 自分の信用できる側近が毒見した食事しかとらなかったのだ(笑) 以上のように、 歴史的にチベット仏教をながめると、西洋の貴族たちが権力闘争で行うような ミットモナイ喜劇が、チベットの山奥でも、同様に起きていることがよくわかる。 末端の信者たちは、いまだに、ココロの底から、チベット仏教を信仰しているし、 日本人の僕らも、「チベット」と聞くと、なにやら神秘的で「本物の教えがあるところ」 という印象をうけるが、 なんのことはない、ただのフィクション、ありがちでミモフタモナイ現実があるだけだ。 (補足) もちろん、このことを持って、 「輪廻転生なんてありえない」と主張できるわけではない。 輪廻の思想自体は、もっと古くから世界中にあるし、 チベット仏教がどうだろうと、本当に輪廻転生はあるかもしれない。 ただ、言えるのは、 世間に溢れている輪廻転生の事例なんて、あまり真に受けない方がいい ということだ。(他の宗教的な伝説や逸話なども) 真理を究めるのに血道をあげてきた宗教国家でさえ、 神秘のベールを少しめくってみれば、こんな程度なのだ。 おそらく、彼らによって、輪廻転生を証明するような、エピソードなどはいくらでも 捏造されたことだろうし、 それらのエピソードは オカルト好きのジャーナリストや学者たちによって、 さも事実のように、報道・出版されただろう。 そして、多くの人々が、そのウソをまんまと信じ込んで、利用されてきた。 それは旗から見ると、喜劇以外のなにものでもない。 (補足2) ただし、現在のダライ・ラマ14世のことは、好きだ。 この輪廻転生システムの問題点をきちんと認識しているからだ。 チベットの文化や伝統を否定しないように気を使いながらも、 できれば、こんな非健全なシステムは無くしたいと考えているフシがある。 次の「15世」がどうなるか、今から楽しみだ。 |
関連事項: なし
|