脳分割問題
1960年頃、
てんかん患者の治療として、左右の脳を繋ぐ
脳梁(のうりょう)を切断する手術が行われた。
てんかんとは、神経細胞の異常放電によって、脳全体に不当な信号が次々と伝播して、「けいれん」などの発作を引き起こす脳の機能障害のことである。
このてんかんの信号は、左右の脳を繋ぐ脳梁(のうりょう)を伝播することを好み、この脳梁を介して、左右の脳に繰り返し伝播すること(共鳴現象)によって発作を引き起こす。
そこで、当時の医者たちは、
「
じゃあさ、左右の脳を繋いでる線を切っちゃえば、いいじゃん。物理的に切ってしまえば、信号が伝播しなくなるから、発作を軽減することができるかも♪」
と考えたのである。
そして、実際、その考えは正しく、この
脳梁切断手術(脳分割手術)によって、多くのてんかん患者の発作がなくなった。
さて、この脳梁切断手術(脳分割手術)によって、「
左右の脳の連絡網を切断された人たち」が、その後どうなったかといえば……、
普通の人と変わらず、生活することができていた。
そう、脳梁を切断しても、たいして
日常生活に支障がなかったのである。
それで、てんかんの発作もおさまるのだから、まさに、
ビバ!脳分割手術!
である。
しかし、
「
いやいや、脳梁という左右の脳の重要な連絡網を切ったのに、まったく影響がないってことはないでしょ!」
と考えた脳外科医たちは、脳分割患者をより詳しく調べるため、ある実験を行った。
●脳分割患者への実験1
簡単にいえば、
「
左右の脳のうち、一方の脳にだけ文字を見せて、それを言葉で話してもらったり、手で取ってもらう」
という実験である。
たとえば、下図のように、眉間のところに、敷居を置いて「コップ」という文字を
右目だけに見せたとしよう。
ところで、人間の視神経は、左右の両目とも、
「
目の左半分の視界は
左脳につながっている」
「
目の右半分の視界は
右脳につながっている」
という関係になっているので、脳梁と一緒に、その交叉している部分を切断してやれば、
「
左目の視神経→左脳だけに つながっている(左目の視界の左半分だけが見える)」
「
右目の視神経→右脳だけに つがなっている(右目の視界の右半分だけが見える)」
という状況を作り出せる。
ここで、左右の脳の連絡網である脳梁は切断されているのだから、
一方の脳が得た情報は、もう片方の脳には送ることはできない。
つまり、
「
左目で見たものは、左脳にだけ伝わる」
「
右目で見たものは、右脳にだけ伝わる」
という状況が作り出せるのだ。
したがって、上図の実験の場合、右目でみた「コップ」という文字の情報は、「
右脳にだけ伝えられる」ことになる。
さて。
ここで、彼に、両目を閉じてもらって、
「
左手(右脳が支配する手)で、
今見たものを、手に取ってください」
と言ってみよう。
すると、彼は、手探りで、コップの形をしたものを選んで、手に取ることができる。
次に、彼に、
「
さっき、何が見えましたか?何をとれば良いか、わかっていますか?」
と聞いてみよう。
そうすると、驚いたことに、彼は、
「
何も見ませんでした。だから、何を取れば良いか、わかりません」
というのである。
(明らかに「コップ」という文字を認識し、現に、その形のモノを選んで、手に取っているのに!)
これはなぜかといえば、言語機能を支配しているのは、左脳だからである。
左脳には、「コップ」という文字の情報は伝わっていない。
だから、
当然、左脳は「何も見ませんでした」と答えるのである。
●脳分割患者への実験2
では、今度は、逆の方の目(左脳の目)に「スプーン」という文字を見せて、右脳が支配する方の手(左手)で、見たものを取ってもらうという実験をしよう。
今度は、左脳の方にだけ、「スプーン」という情報が伝わったことになる。だから、右脳が支配する方の手(左手)は、何を取って良いかわからず、スプーンを取ることができない、という結果となる。
そこで、彼に、「
何を取れば良いかわかっていますか?」と聞くと、「
はい、スプーンですよね」と、ちゃんと答えるのである。
●実験結果の考察
これら脳分割患者に対する実験の結果は、一見すると、奇妙な結果のようにみえるが、科学的に見れば当然の結果である。
だって、左脳と右脳は、物理的につながっていないのだから、当然、
「
左脳が得た情報は左脳しか知らない」
「
右脳が得た情報は右脳しか知らない」
ということになる。そう考えれば、上記の実験結果はなんの疑問もない。
左脳が見ていても、右脳は見ていないのだから、右脳が、左脳が見たものを、選んで手に取るなんて、できるわけがない。
だから、この実験結果は、科学的に言って、あまりに当たり前で、妥当な結果であると言える。
(逆に言えば、もし、ホントウに物理学や脳を越えた霊体、タマシイが存在し、それが世界をみて判断し、思考しているのなら、右脳と左脳が物理的に隔離されていても関係なく、タマシイは左脳の機能を使って、「今、みているのはコップだよね」と話せたことだろう。だが、そういう実験結果は得られなかった)
ともかく、「
脳分割患者への実験」は、科学的には、ごくごく真っ当な結果となった。
だが……。
この脳分割患者への実験を、「
この私」という視点に置き換えて哲学的に考えてみると、科学や物理学では決して解決できない大きな問題が持ち上がってくる。