シュレディンガーの猫(3) よくある疑問B
観測される前の物質は、
「
観測されるであろう可能性」が
重なり合った状態のまま存在しており、観測したときに初めて、
その可能性のうちのひとつが選択される。
一見、常識ハズレだが、2重スリット実験などの不可思議な実験結果を説明するためには、このような
新しい考え方が必要だった。
で、「
シュレディンガーの猫」の思考実験とは、
「
その新しい考え方が正しいとしたら、こんなふうになっちゃうよ」
という
問題提起である。
話を進めよう。もうひとつの「よくある疑問」だ。
●よくある疑問B
「
『観測』すると、電子の位置は決まるんでしょ?だったら、まず最初に箱の中のセンサが、電子の位置を『観測』するんだから、人間が箱を開ける前に、電子の位置も、猫の生死も、決まってしまうんじゃないの?」
この疑問はもっともだ。
そもそも、「シュレディンガーの猫」の思考実験では、人間が箱を空けて、中を『観測』しないかぎり、「
電子の位置も、猫の生死も、決まらずに、複数の状態で多重に存在している」と述べている。
しかしである。
箱の中には、電子の位置を測るための「
センサ」が入っているじゃないか!
この「センサ」は、測った結果にしたがって、毒ガスの噴射スイッチをONにしたり、OFFにしたりする仕組みを持っている。
で、「
一番最初に電子と関係を持つ」のは、このセンサなのだ。
もし、電子とセンサが出会った時点で、「センサが電子を『観測』し、電子の位置が確定する」のであれば、その時点で、毒ガス噴射スイッチの「
ON/OFF」も決まってしまうわけで、当然、「猫の生死」も「
生きているか/死んでいるか」のどちらか一方に決まってしまうはずだ。
だとすれば、「猫の生死」が多重化することなんかありえないことになる。
なんだ、じゃあそれで、問題ないじゃないか?
いやいやいや。
この思考実験が、そんな単純に結論を出せるのなら、誰も苦労しない。
(というか、本当にそんな簡単な話なら、ボーアもアインシュタインも誰も悩まないだろう)
そこには、かなり複雑な事情がある。
結論を先に言ってしまえば、
「
電子とセンサが出会ったとき、電子の位置が確定する」
と考えてしまうと、ある矛盾が起きてしまうのだ。
それは、一体どういうことなのか?
●電子とセンサが出会ったとき、何が起きるのか?
まず、そもそも、「センサ」とはなんだろうか?
当たり前の話だが、どんな仕組みだろうと、物理学的にいえば、「センサ」とは、
「
ミクロの物質(原子とか)の集まり」
にすぎない。
そして、この世界に起きている物理現象はすべて、
「
ミクロの物質の間に働く 力(相互作用)によって引き起こされている」
にすぎない。
とすれば、「電子」と「センサ」の間で起こることも、究極的にいえば、「
電子(ミクロの物質)」と「
センサを構成するミクロの物質」のあいだで、
「
力の相互作用」
が起きただけのことである。
じゃあ、この「
力の相互作用」の働きによってモヤモヤしていた電子の位置がひとつに決定したのだ、とは言えないのだろうか?
実は、これについて考え出すと、とっても不可思議なことになる。
●分子による2重スリット実験
ところで、
以前にも、述べたことだが。
「
2重スリット実験」の干渉縞は、「
フラーレンのような複数の原子から構成される分子」でも、起きるということを思い出して欲しい。
(フラーレンとは、「
炭素原子が60個集まってできたサッカーボール状の分子」のことだ)
これは非常に重要な点である。
ちょっと、話を簡略化するために、「
X,Yの2つの原子から構成される分子」を考えてみよう。
そもそも、この2つの原子が、
カタマリを維持するためには、当然、原子同士のあいだで、物理的な「
力の相互作用(たとえば、重力や電磁気力)」が働いていなくてはならない。
この「力」が働いて、くっついているからこそ、原子Xが右にいけば、原子Yも引っ張られて、一緒に右にいき、カタマリを維持するわけだ。
もし、「力」が働いていなかったら、2つの原子はバラバラに散らばってしまうだろう。
さて、このカタマリ(分子)を使って2重スリット実験を行っても、
干渉縞が現れる。
ということは、この分子も、位置が『観測』されないかぎりは、どのスリットを通ったか、その位置は未確定であり、「
スリットAを通ったかもしれない/スリットBを通ったかもしれない」という複数の可能性として
多重に存在していることになる。
ここで、この分子は、
2個の原子で構成されているのだから、つまるところ、
2つの原子の位置も決定されていない、ことになる。
(もし、「2つの原子の位置=分子の位置」が決定されていれば、一方のスリットしか通らないのだから、干渉なんか起きない)
だが、ちょっと待って欲しい。
繰り返して述べるが、この分子は、
「原子Xと原子Y」の2つで構成されているのだ。
この分子が、スリットのある壁に向かって飛んでいるときには、2つの原子の間には「
力の相互作用(重力とか電磁気力とか)」が、常にかかっているはずである。
(じゃないと、カタマリを維持できずに、2つの原子はバラバラに散らばってしまう)
結局のところ、1個の分子は、さらに小さい「ミクロの物質」から構成されているのだから、「それらのミクロの物質をつなぎとめて、分子として存在し続けている」のであれば、現代物理学で定義されている「
すべての力(電磁気力、重力、弱い力、強い力)」が、常に分子の中で生じていることになる。
それなのに、「
干渉縞が発生する」ということから導き出せる結論は、
「ミクロの物質」のあいだに、「力の相互作用」がおきても、ミクロの物質の位置は決定されません!
ということになるのだ。
だって、もし、
「
原子Xと原子Yのあいだで、『力の作用』が起きたとき、お互いの位置が決定される」のであれば、
「
『力の作用』で結びついている原子X、Yのカタマリが、モヤモヤとした可能性として、2つのスリットを同時に通り抜ける」
という芸当ができなくなるわけだから、そうすると
原子X、Yのカタマリを使っても、干渉縞が起きることの説明がつかなくなる。
だから、2つの原子のあいだで、「物理的な力の作用」が起きても、それぞれの状態は、あいかわらず、「
可能性のまんま」であり、何も決定されない、ということになる。
●力の作用が起きても、やっぱり可能性のまんま
さぁ、ここで、「電子とセンサ」の話に戻ろう。
繰り返して述べるが、電子とセンサの間で起きていることは、究極的にいって、
「ミクロの物質同士に、物理的な力の作用が起きた」だけにすぎない。
でも、「分子による2重スリット実験」では、「
ミクロの物質同士に、力の作用が起きても、ミクロの物質の状態は確定されない」という結論になった。
ということは、「電子とセンサ」がどんな反応をしようとも、「電子」 も 「センサを構成するミクロの物質」も、「
可能性のまんま」であり、
「電子の位置」も「センサの状態」も、決定されないことになる。
つまり、電子は、「
位置Aにあるかもしれない/位置Bにあるかもしれない」という
「
可能性のまんま」であり、
センサ(を構成するミクロの物質)も、
「
位置Aの電子に反応したかもしれない/位置Bの電子に反応したかもしれない」という
「
可能性のまんま」である。
もちろん、話はそれだけではない。
「毒ガス」だって、「猫」だって、
同じミクロの物質でできている。
あるミクロの物質が、別のミクロの物質と、力の作用を起こしても、状態は確定しない
のだから、同様に、毒ガスや猫の状態も「
可能性のまんま」であり、多重に存在している、という結論になる。
いやいや、それどころかだ。
物理学的にいえば、この世界は、「ミクロの物質」とその間に働く「力(相互作用)」で構成されているにすぎない。
すると、とても困ったことになる!
・世界は、「ミクロの物質」とその間に働く「力(相互作用)」で構成されているにすぎない。
にもかかわらず、
・「ミクロの物質」に「力」が働いても、ミクロの物質の状態は確定しない。
のだから、なにをどうやろうと、電子もセンサも猫も、
この世界のあらゆる物質は、「
可能性のまんまであり、状態が確定することはありえない」ことになる。
しかしだ!
そうはいっても、現実として、ワレワレ人間は「生きている猫」か「死んでいる猫」か、どちらか一方の「確定した状態」だけを認識している。
ワレワレは、「可能性のまんま」の猫を観測したことなんか、一度だってない。
いったい、これは、どういうことか。
実は、これが謎であり、量子力学の最大の課題である。
理論的には、ミクロの物質は、いつまでたっても「可能性のまんま」であるはずなのに、人間が『観測』しているときは、いつも「確定」している。
それはいったい、なぜなのか?
いつ、どんな要因で「確定」したのだろうか?