確率論的世界
「『確率的な現象』など存在しないというのは、もはや古典的な世界観であり、実際の世界は、まさに確率的な世界なのである」
確率と言えば、「サイコロ」とか「くじ引き」とかを連想する。
たとえば、こんな感じだ。
「ここに、2つの箱があります。一方の箱には、『右手用の手袋』が、もう一方の箱には『左手用の手袋』が入っています。
あなたは、どちらの箱に、どちらの手袋が入っているか知りません。だから、この箱をあけて、調べて見ないことにはわかりません。
でも、少なくとも、あなたが、一方の箱を選んで、あけたときに、「右手の手袋」が出てくるか「左手の手袋」が出てくるかは、確率的に50%です」
ここまではいい。全然、難しくない話だ。
でも、この話を聞いたときに、普通、僕らはこう考える。
「『箱を開けたとき、どっちの手袋が出てくるか、確率は50%』とか言っているけど、実際には、どっちの手袋が入っているかなんてことは、箱を開ける前から、決まっているでしょ」
たしかにそうだ。
「選んだ箱に『右手用の手袋』が入っていたとしたら、それは『誰かが右手用の手袋をこっちの箱に入れた』という原因があったからだ。
ということは、その箱に「どっちの手袋が入っているか?」は、ボクが箱を開ける以前に決まっていることであって、決して確率的なことじゃない。
もし、その原因を、事前に知ることができれば、箱を開ける前に『右手用の手袋』が入っている、と知ることできる」
したがって、
「『確率』と言っても、ボクらが真の情報(原因)を知らないときに、『確率的にしかわからない』っていう話なので、実際のところ『確率的な事象』なんてものは存在しない!」
と言う意見がもっともだと思う。
だが、量子力学は、それに「NO」を告げる。
「むしろ、すべては、確率的なものだよ。そういう意見は、もはや時代遅れだよ」と。
「ええぇぇ〜〜〜!?」
いや、俺だって「そんな馬鹿な!」と言いたい。
でもだ。
手袋ぐらいに大きいものなら、ともかく、「電子」とかあまりに小さいものになってしまうと、どうしても正確な観測ができなくなってしまい、「なぜ、それがここにあるのか?」という原因を知ることはできなくなるのだ。
例えるなら、ある箱を開けてみたら『右回りの電子』が入っていたとしても、
「なんで、どんな理由で、『左回り』ではなく『右回り』の電子が入っていたのか?」
という理由(原因)を『原理的に知ることはできない』ということである。
原因がわからなければ、絶対に予測できない。
そして、『その原因は絶対に知りえない』と量子力学が証明したのである。
そういう量子力学の結論に対して、アインシュタインは徹底的に批判した。
「そんなわけないだろ!絶対、原因があって、結果があるんだ!神様はサイコロ遊びをしない!」
それに対して、量子力学のボーアさんは反論する。
「だ・か・ら〜、それを知ることが原理的に無理なんだってば!
ていうか、神様、関係ね〜だろ。んなもん、科学の議論に持ち込むな!そりゃあ、おれだって、物理学者の端くれだから、物理現象について『その原因はなにか?その法則は何か?』ということを知りたいよ。
でも、それを知ることができないってこと、証明しただろ!無理なもんは無理なんだってば!!そもそも、アンタの言っていることは、『知りえないこと』を、自分の主観で『こうだ』と言っているだけで、何の根拠もないだろが。悔しかったら、反論を証明してみろ!」
これについて、アインシュタインは一生それを認めなかった。
ボーアを凹ますための、色々な実験を提案したが、後にそれらの実験結果は、すべてボーアの主張を正しいとするものばかりであったそうな。
結局のところ、すべての物理現象は、確率的に記述することしかできないのだ。アインシュタインの言うように、その背後に真の原因があるのかもしれないが、それは知りえないのだから、少なくとも、人間にとっては、「確率的な世界観」が真の姿なのだ。

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