イデア論
「線」って見たことありますか?
あると答えた人……
「ほぉ〜、そうかいそうかい、じゃあ、今すぐオレに『線』をみせてみろ!」と問い詰めさせてもらいます。
「線なんて、すぐ見せられるよ」と言って、紙に、鉛筆で、線を描いた人……
「もっとじっくり見てみろ!幅があんだろ!幅があったら、線じゃねえじゃん!」
と、あなたの頭をつかんで紙に押し付けさせてもらいます。
そうなんです。「線」って見たこと無いんです。ていうか、見れない。視覚的には、幅がないと見れないけど、そもそも幅があったら線じゃない。
同様に、「点」も「面」も見れない。
「三角形」も「四角形」も見れない。
世の中には、見えないものがたくさんあるんです。
三角形の石をみても、それはあくまで「三角形っぽい石」であって、実際には三角形ではない。
仮に、一見すると、完璧な『三角形』にみえる石があったとしても、顕微鏡を使って、どんどん拡大して、よく見ていけば、いつかは、線がまがっていたり、角が丸まっているのが、見えてくるわけで、理想的で完璧な「定義どおりの三角形」を見ることは絶対にできない。
とすると、問題は、
「じゃあ、なんで、見たこともないのに、俺らは『(定義どおりの完璧な)三角形』というものを頭の中で思い浮かべることができるのか?」
ということになる。
この問題について、紀元前400年の昔に、プラトンという人が考えた。プラトンさんは大胆だった。
「『三角形』という観念的なものが、どこか別次元の世界に、『存在』しているんだよ!」
と主張したのである。
この別次元に存在する「観念的なもの」を、
プラトンは、「イデア」(ギリシャ語で「姿形、原型」)と名づけた。イデアが存在する観念の世界を「イデア界」と名づけた。
プラトンはこう考えた。人間は、現実世界の「デコボコの三角形っぽい石」を見ているとき、頭の中で「完璧な三角形」を思い浮かべて、「三角形だ」と言う。この「三角形」は、厳密で完璧な三角形であり、つまり「三角形のイデア」である。
つまり、「三角形っぽい石」を見るときに、「三角形のイデア」も同時に見ており、ゆえに「三角形」だと認識できるのである。
そして、「デコボコの三角形っぽい石」は、いくらでも破壊することができるが、イデア界の「三角形」は壊すことができない。
たとえ、この世界から、「三角形っぽいもの」をぜ〜んぶ破壊したとしても、「三角形」という存在(イデア)が消えるわけではない。
したがって、現実の世界にある存在よりも、イデア界にある存在こそが、普遍的で本質的な存在なのである。
紀元前の人なのに、よくここまで考えたと感心します。
「自分は、見たものしか信じません!」という人だって、「三角形がどんなものかぐらい、知っているよ!」と言うでしょう。見たこともないくせに……。
改めて考えると、不思議なことじゃありませんか?

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