波動と粒子の2重性
「光って、波だろうか?粒子だろうか?」
この質問について、量子力学によれば「光は、波でもあり、粒子でもある」が正解だそうだ。
マトモな思考能力の持ち主ならば、
「そんなバカな。『波』と『粒子』は明らかに違うだろ!『波であり粒子である』って、いったい、どんな状態だよ!ありえない!」
と言いたいだろう。
オレだって、そう言いたい。
でも、量子力学は、素で、
「いや、本当に、光は、波で、かつ、粒子なんだよ」と述べる。
いったい、それがどういうことなのか。
はっきりいって、よくわからない。
もちろん、僕たちは、
「あるひとつのモノが、波であり、粒子である」
という現象を経験したことがないのだから、「わからない」のは無理もない。
それは、量子力学を専門にやっている科学者だって同じことで、実は、彼らだって「わかっていない」のである。
何年もそれだけを考えて、それで飯を食っている専門家ですら「わかりません」とサジを投げていることについて、興味本位の素人が「わかるよ〜」なんて適当なこと言っちゃいけません。ボクら素人が「わかる」ことは、せいぜい、
「なんで科学の専門家たちが、そんなわけのわかんないことを言い始めたのか?」
という事の経緯くらいである。
さて。そもそも、物理学というのは、「実験結果」を絶対視する。つまり、どんなに美しい理論だろうと、「実験結果」と合わなければ、ゴミ同然に捨てられ、逆に、どんなに奇妙奇天烈大百科な理論だろうと、「実験結果」と合うのであれば、それが標準的な理論として扱われるのだ。
それは当然で、健全な精神だ。
物理学は、机上の空論では決してない。
物理学は、いつも「現実的な営み」なのだ。現実の現象と そぐわない物理理論なんて、何の役にも立たない。
なのだから、「光は、波で、粒子で〜す」なんて、耳を疑いたくなるようなタワゴトでも、やっぱり、その現実的な営みから、生まれたものである。
それは一体どんな複雑な話だろうか…?
いやいや、事は至って単純だ!
だって、物理学は、いつも「実験結果」を信じるのだから。
つまり、
1)「光は波で〜す」という「実験結果」
2)「光は粒子で〜す」という「実験結果」
の2つが見つかったということだ。
たんに、それだけっす。説明終わり。

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