フェルマーの最終定理(2) 盲目の数学者オイラー

n≧3のとき、
X n+Y n=Z n
を満たす自然数 X、Y、Zは存在せん!

この命題について、ホンマに驚くべき証明方法を
わいは発見した。せやけど、それを書くには、
この余白は狭すぎる!

こんな思わせぶりなメモを残し、
その証明方法を示さず死んでしまったフェルマー。

そのフェルマーの死後から、
100年あまりの時が過ぎた……。

だが、たくさんの数学者の努力にも関わらず、
それだけの時間が経過しても、
フェルマーの最終定理の証明方法を
見つけたものは、誰もいなかった。

しかし!
1700年代に入り、当時、最大最高の数学者であったオイラーが、
ついに、そのフェルマーの最終定理の突破口を開くことになる。

はっきり言っておくが、
オイラーは半端な数学者ではない!

まさに、オイラーは
「計算するために生まれてきた」
と言われるぐらい、天才的な数学の申し子だった。

「人が息をするように、鳥が空を飛ぶように、オイラーは計算をする」
と評されるオイラーは、とにかく、計算が速く、長大な計算を暗算で
簡単にやってのけることができた。

しかも、彼は、
「片手でゆりかごを揺らしながら、
 もう一方の手で数学の論文を書いている」
と評されるほど、その天才的才能を一時も無駄にせず、
人生のすべてを数学に費やしたのだった。

その結果、彼が生涯で残した論文は、800以上もの数に達し、
それは未だ誰にも破られることのない数学史上の最高記録であり、
これらの論文が数学界に与えた貢献は計り知れない。
そもそも、僕らが使っている数学記号(π 、i 、e 、Sinθ 、Cosθ)
のほとんどは、オイラーが決めたものなのだ。

そんな数学的才能に満ち溢れ、あっというまに数学の証明を解いて、
次から次へと論文を書き続けるオイラーだが、
彼の本当に驚くべき才能は、その桁外れの「集中力」にあった。

こんなエピソードがある。
オイラーが28歳のとき、
ある天文学の問題が、懸賞にかけられた。
その問題は、多くの数学者が
「何ヶ月もかけても、解けるかどうか…」
と尻込みするほどの難問だったのだが、
オイラーは、ぶっとおしで、その問題に取り組み続け、
ほんの3日ほどで、その問題を解決してしまったのだった。

だが、オイラーは、不眠不休で数学をやり続けた結果、
その代償として、片目を失うことになる。

しかし、数学のやりすぎで、目まで潰してしまったにもかかわらず、
「おかげで気が散らなくなった。前より数学の研究に打ち込める」
とさえ述べている。

こうして、その身すら いとわない驚くべき集中力で、
次から次へと数学の論文を大量生産していくオイラーだが、
60歳になったとき、ついに、もう一方の目も潰れてしまうことになる。

だが、たとえ盲目になっても、オイラーの数学は止まらなかった。

とっくに、引退してもおかしくない高齢にもかかわらず、
オイラーは、目が見えなくても、数学ができるように、
文字を書く特訓すら始めたのだった。

結局、目が見えなくなってからのオイラーの数学は、
むしろ、目が見えたときよりも、
「より独創的で生産的になった」と言われるほどにまで、
高みへと上っていくのである。

たとえば、現代のコンピュータでよくやるアルゴリズム的な計算方法は、
オイラーが目が見えなくなってから考え出されたものだ。
オイラーが発明した計算方法をつかえば、
とても解けそうもない複雑な方程式があったとしても、
「まず、テキトーに大雑把な答えを見つける。
 次に、その答えを使って、もう少し精度の良い答えを導き出す。
 そして、さらにその答えを使って、もっと精度の良い答えを…」
というのを100回ほど繰り返して、ある問題の近似解を見つける、
という、当時としては奇跡的なまでに画期的な方法を考え出している。
(そして、その計算をオイラーは目がみえないまま、
 パッとやってしまうのだった)

オイラーの時代には、すでに数学は、科学の道具として使われており、
船の設計から運行まで、数学に基づいて行われていた。
したがって、「厳密な答え」ではないが、
「実用的には十分使える精度の答え」
が出せるオイラーの計算方法は、当時の人々の生活にとって、
本当に価値のあるものだった。

そして、70歳を越えて、ついにオイラーも死を迎える。

だが、その死の当日すら、数学の研究に没頭していたという…。

後世の人は、オイラーの死をこう表現している。

「その瞬間、オイラーは、生きることと、計算することをやめたのだ」

そんな人生のすべてを数学に費やした天才数学者オイラーが、
フェルマーの最終定理の証明に挑み、最初の突破口を開いた。

そもそも、フェルマー最終定理は、
X3+Y3=Z34+Y4=Z45+Y5=Z5
…
という無限に続く方程式について、
「解がない」ということを述べているわけだが、
これについて、オイラーは、
「まず、そのうちの、ひとつの方程式について、解がないことを証明し、
それが別の方程式についても成り立つことを証明する」
という戦略で解決しようと考えていた。

ところで、フェルマーは、フェルマーの最終定理について、
別のメモに、n = 4の場合についての証明のヒントを残していた。
つまり、「4+Y4=Z4を満たす自然数 X、Y、Zは存在しない」
という証明のヒントを残していたのだ。

そのヒントを頼りに、オイラーはn = 4の場合についての
証明方法を発見することに成功する。
その証明方法を利用して、
n = 3の場合についての証明しようとする……が、
簡単にはうまく行かなかった。
そこでオイラーは、虚数(2乗すると-1になる数)を導入することで、
めでたく、n = 3の場合についても、証明方法を見つけるのだった。

こうして、n = 3 , n = 4の場合について、
フェルマーの最終定理が証明されたわけだが、
これは、それぞれの倍数についても、同様に成り立つ。

つまり、n = 3が証明されたということは、
その倍数である
n = 6 , n = 9 , n = 12 , n = 15 
について証明したことと同じである。

もちろん、n = 4 についても同様であり、
n = 8 , n = 12 , n = 16 , n = 20 
について証明したことと同じなのだ。

さてさて。
すべての整数は、素数の倍数で表現できる。
(素数とは、5 , 7 , 11 など、1 と自分自身でしか割り切れない数だ)
どんな数だろうと、必ず素数の掛け算で表現することができる。
12 = 2 × 2 × 3
26 = 2 × 13

ということは、フェルマーの最終定理は、
「 n が素数のときに成り立つ」
ことさえ証明できれば、すべての n について、
証明できたことと同じことになるのだ。

と、ここまでフェルマーの最終定理を追い詰めることに、
成功したオイラーだったが、
さすがの天才もここで証明を断念し、
フェルマーの最終定理に膝を屈するのだった。

さらなる進展は、次なる数学者の登場を待つことになる。

それまでフェルマーの最終定理は静かに眠り続ける…。