フェルマーの最終定理(1)

フェルマーの最終定理。

それは、

n≧3のとき、
n+Yn=Zn
を満たす、自然数 X、Y、Zは存在しない

という数学の定理である。

このフェルマーの最終定理の意味を理解するのは、
とても簡単だ。

結局のところ、フェルマーの最終定理とは――
n+Yn=Zn という数式について、

n = 2 の場合、つまり、
2+Y2=Z2 の場合は、
2+42=52 (X=3,Y=4,Z=5)という解が見つかるけど、

n ≧ 3 (n が3以上)の場合、
つまり、
3+Y3=Z3 や 
4+Y4=Z4 5+Y5=Z5 の場合は、
その式を満たす自然数 X、Y、Zは、絶対に存在しないよ〜

――と言っているだけの話である。

n≧3のとき、
n+Yn=Zn
を満たす自然数 X、Y、Zは存在しない!

これが、フェルマーの最終定理である。

そう、フェルマーの最終定理とは、たったこれだけの内容にすぎない。

だが、こんな中学生でも理解できる簡単な定理なのに、
これをいざ「ホントウにそうなるということを証明しろ」と言われると、
どんな歴史上の数学者も太刀打ちできない悪魔的超難問に
なってしまうのだ。

●偉大なるアマチュア数学者 フェルマー

そもそも、この「フェルマーの最終定理」を作った
フェルマーという人は、実はプロの数学者ではない。
1600年頃のフランスの法律家であった。
彼は、裁判所に勤める有能な地方役人であり、
数学はただの趣味にすぎなかった。
つまりは、アマチュアの数学者だったのだ。

だが、彼が、正真正銘の天才であることは、
数々の逸話から知ることができる。

・確率論の創設
 フェルマーは、人付き合いが嫌いだった。
 だが、そんな彼が特別に懇意にしていたのが、あの天才パスカルである。
 パスカルは「確率論の父」と呼ばれ、
 数学における確率論を作ったと言われるが、
 じつは、それらはすべてフェルマーとの文通で作られたものであった。
 つまり、確率論の半分は、フェルマーの功績なのである。

・微分の発見
 数学の微分・積分は、ニュートンが発明したとされているが、
 実は、そのアイデアに近いものは、
 すでにフェルマーによって考えられていた。
 なにより、ニュートンが、「フェルマー氏からアイデアを得た」と
 はっきり書き残している。

以上のようなエピソードを聞くだけでも、彼がアマチュアでありながら、
数学の天才であったことに疑いようはない。

だが、彼には、とても悪い癖があった。
それは、
「証明を書き残さない」
というものだった。
彼は、数学の新しい証明を見つけても、
その証明の美しさをひとしきりめでると、満足して、
その証明をゴミ箱に捨てるような人間だった。
彼は、本職の数学者ではないのだから、
数学界への貢献や名誉なんて どうでもいいわけで、
ただ静かに、ひとりで、美しい数学の世界を堪能できればよかったのだ。

さらに、もうひとつフェルマーには悪い癖があった。

それは、自分の数学の成果を
海を越えた遠くイギリスの本職の数学者たちに、
手紙として送りつけることにあった。
彼は、手紙で
「私は、コレコレの数学の命題を証明しました」と送るわけだが、
そこで、フェルマーは、ただ「証明しました」と述べるだけで
決してその証明の方法を書こうとしなかったのである。

つまり、フェルマーは、数学の大先生達に、
新発見の数学の定理を送りつけて、
「おれは、こういう定理を証明したけど、
 おまいらに、その証明方法がわかるかな?m9(^Д^)」
という挑発をしたのだ。

もちろん、そんな挑発にプロの数学者たちはカンカンに怒った。
「アマチュアが何を生意気な」
とフェルマーが送ってきた定理の証明に挑戦するが、
これが、難しく、その当時の最新の数学手法を駆使しても、
まったく歯が立たなかった。
ついには、プロの数学者すら諦めて、
「だ、だめだ!わからん!こんなのアマチュアが証明できたなんて、
 絶対 嘘だ!嘘に決まっている!」
と、証明を投げ出そうとするが、
そのたびに、フェルマーは、すこしづつ、証明のヒントを教えていく。

「こんなものも、わからないの!? m9(^Д^)プギャー!!
 しょうがないなぁー、
 このヒント使ってもう一度やってみそ。
 (゚Д゚)つ ヒント」

ちなみに、普段のフェルマーは、揉め事や目立つ事が嫌いであり、
植物のような平穏で静かな人生を好むタイプの人間であった。
それが、海一つ挟んで遠く離れた国の、顔が見えない相手に対しては、
いきなり性格が豹変して、からかって楽しむ……、
というのは、今のインターネット事情と良く似ているかもしれない。

ところで、現代でも、
アマチュアの研究者が「新発見です(゚Д゚)」とか言って、
プロの先生達に手紙を送りつけるなんてことは、よくあることだ。
大概そういうものは、見当違いで、話にならないものであることが多い。
だが、フェルマーの場合は違っていた。彼の数学者としての能力は、
完全に、プロを上回っていたのだ。

さてさて。
そんなフェルマーだが、なんだかんだ言っても、
所詮は、趣味として数学をやっていただけだから、
数学界から、大きな脚光を浴びることも無く、
望みどおり平穏で静かに、その生涯を終えることになる。

もちろん、それだけだったら、フェルマーは誰にも知られず、
歴史に埋もれてしまうところだった。
だが、フェルマーの死後、その息子が、
フェルマーがメモとして書き留めていた内容をとりまとめて、
出版したことにより、突然、フェルマーは脚光を浴びることになる。

というのは、息子が、出版した本には、

「父が、証明をしたってメモを残しているけど、
 その肝心の証明方法が残っていない定理の一覧」

が載せられていたからだ。

普通ならば、そんな本当に証明したかどうかわからない定理など、
与太話として誰も信じなかっただろう。だが、それを残したのは、
(一部の数学者の間で悪名高い)あのフェルマーである。

彼は、今まで、多くの数学者に難問を与えて、からかってきたが、
一度として、嘘の定理を送ってきたことはなかった。
プロの数学者でさえ証明ができなかった定理でも、
彼が「証明した」と言ったとき、それは確かに真実であった。
結局、フェルマーの人間としての人格はともかく、その数学的才能から、
フェルマーが残した定理は、正しいものであると信じられた。

かくして。
たくさんの数学者が、この失われてしまった証明を求め、
フェルマーが残した定理の証明に挑戦することになる。
だが、その挑戦は、困難を極め、
あるひとつの定理を証明するだけでも、
歴史に名を連ねる天才数学者が何年もかけて、
やっと解いたものもあった。
たとえば、フェルマーの定理のひとつ(素数の定理)は、
1700年代最大の数学者であるオイラーが、なんと7年もの歳月をかけて、
証明をやっと見つけたほどである。
(フェルマーの死後、100年後のことである)

が、ともかく、長い時間の中で、たくさんの数学者の努力により、
ひとつ、またひとつと、フェルマーが残した定理の証明方法が、
見つかっていくのだった。

だが………。

そうしていくうちに、
どうしてもひとつ残ってしまったのである。
誰にも、証明を導くことができない定理が。
それは、あまりにも簡潔な定理で、
誰にでも理解でき、
すぐに証明できてしまいそうな簡単な定理だった。

その定理について、
フェルマーが残したメモとは、こんな内容だった。

n≧3のとき、
n+Yn=Zn
を満たす自然数 X、Y、Zは存在しない

この命題について、真に驚くべき証明方法を
私は発見した。だが、それを書くには、
この余白は狭すぎる。

この最後の最後に残った、誰にも証明できないフェルマーの定理。
フェルマーがメモに残した「真に驚くべき証明方法」とは一体何なのか、
話題が話題を呼び、いつしか、それはこう呼ばれることになる

「フェルマーの最終定理」

と。

そして、この 誰にも解くことができなかったフェルマーの最終定理は、
フェルマーの死後、350年以上もの間、 悪魔の定理として、
多くの数学者の人生を狂わせていくことになる。