中国語の部屋

チューリングテストについて、哲学者サールが「中国語の部屋」という例え話で反論した。

密室に閉じこめられたサールに、窓から中国語で書かれた手紙が投げ込まれる。
サールは、英語しか理解できないのだが、
その部屋には、中国語の返信の文章を作り出すための「マニュアル本」が置いてあるので、
サールは、そのマニュアルにしたがって機械的な作業をして、わけのわからない文字を
見よう見まねで書きつづる。
そして、なんとか中国語の手紙を書き終え、その返事を窓から投げ返す。

さて、外にいる中国人には、サールが中国語を理解しているように見える…。
チューリングテストで言えば、合格である。
密室のなかのサールは、中国語を理解していると判断される。

しかし、実際は、サールがまったく中国語を理解していないのは明白だ。
結局、サールがやっていることは、
「『%#$』 という文字があったら、 『@&*』 という文字を書く」 などのように、
ある規則にしたがって、意味不明の記号を並べるという機械的作業にすぎないからだ。

ゆえに、チューリングテストは『知能』の判定には使えないのだ、とサールは批判する。
そして、
「コンピュータが、どんなにそれらしい言葉を述べてきたとしても、
 それはあくまで機械的作業の結果である。
 コンピュータは、決して「言葉の意味」を理解できないのだから、
 コンピュータの中に『知能』を作ることは不可能である」
と結論づける。

ようは、
機械が、機械的な作業をいくら積み重ねても、機械であることに変わりない。
機械は、所詮、機械だってことだ。

なるほど、もっともだ。
しかし、この哲学者サールの批判には、大きな欠陥がある。

「ふ〜ん、哲学者さんは、「機械は言語を理解できない」って言うけどさ、
 そもそも人間の言語理解ってなんなのよ?
 案外、機械的な結果にすぎないんじゃないの?
 そうじゃないって否定できる根拠あるの?」
という反論には何も答えられないからだ。

だって、結局のところ、
人間の言語理解も、「脳という機械」によるものにすぎない。

脳には、言語理解を担当する部分があって、そこを壊せば、言語が理解できなくなる。
それは、「言語を理解する」という機能が、
脳という物質に依存しているという明白な証拠だ。
そして、脳とは、ニューロンという神経細胞によってできた「機械」にすぎない。

だとするなら、サール自身の「脳」に対しても、「中国語の部屋」が適用できるのだ。

たとえ話の中で、サールは、英語を理解しているという。
しかし、もちろん、サールの脳内の細胞(ニューロン)たちが、
英語を理解しているわけではない。
細胞たちは、機械的に作業しているだけだ。
細胞たちが、「英語の意味」を理解していないのは明白だ。

だとすると、「やっぱりサール(人間)だって、言葉の意味なんか理解していないのだ」
ということになってしまうのだ。