我思う、ゆえに我あり

誰でも知っているデカルトの有名な言葉だが、これは「俺が考えているってことは、俺がいるんだなぁ」という単純なものではない。もう少し深い意味を持つ。

この世で、「最も確かなこと」は、何だろう?この世で、「全く疑う余地のないこと」は、何だろう?

これをデカルトは考えた。


たとえば、目の前にある世界は、本物だろうか?
いやいや、これは幻なのかもしれない。夢なのかもしれない。だって、夢を見ているとき、これが夢だとは気がつかないではないか。

今、見ているものは、実際には存在しないのかもしれない。これが夢、幻じゃないと、どうやって証明できるだろう。そんなことは、原理的に、決してできない。

じゃあ、数学は?学問は?論理は?
いやいや、それが正しいと思うのは、思い込みかもしれない。だって、夢をみているとき、論理的におかしなことが起きても、それをおかしいと感じないではないか。

では、やはり「絶対的に正しい」と宣言できるものは 何もないのか?

デカルトは、全てを疑った。
疑って、疑って、疑い続け、それでも正しいといえるものは何かを根気強く考え続けた。そしてある日、天啓のような考えがひらめく。

我々が認識するものは、すべて嘘かもしれない。
でも、それを疑い続けているものがいるということだけは真

であると。

たとえ、
「疑っている」ということを疑ったとしても、やっぱり「何かを疑っている」ことは真なのだ。

たとえ、すべてが夢であっても、その夢を見て、夢じゃないかと疑っている自分が存在すること は決して疑えない。

この世のすべてが、信じられないものであろうとも、それを『疑っている何者かが存在すること』は、絶対的な真実なのだ。

これが「我思う、ゆえに我在り」という言葉の本質的な意味である。デカルトは、この言葉を「決して疑えない確かな真実」として、哲学の第一原理にすえたのである。近代哲学は、デカルトから始まる。

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