プラトン B.C.400年頃

「悪法も法だ。
 法によって死刑という判決がでたのなら、
 自分は甘んじてそれを受け入れよう!」

そういって、自ら毒を飲んで死んだ哲学者ソクラテス。

自らの信念を貫き通すため、
命さえ投げ出したソクラテスという存在が、
後世の哲学者たちに与えた影響は計り知れない。

だが、実のところ、
ソクラテスは自分で一冊の本も書いていなかったりする。

したがって、ソクラテスが、
どんな人で、どんな考えを持っていたのか……
本当のところはよくわかっていない。
だから、ソクラテスについては、
その弟子の著作から、想像するしかないのが現状である。

実は、弟子によっては、ソクラテスを「説教好きの退屈なおじさん」
として書き残している人もいたりと、
弟子それぞれで、ソクラテスの印象がまったく違っている。
だから、ソクラテスが、本当はどういう人で、
どんな思想を持っていたのか、というのは謎だったりする。

では、現在のようなソクラテス像(「哲学者の代名詞」というイメージ)
はどこから来たのかといえば、それらはすべて
「ソクラテスの弟子であるプラトン」が書き残した本から来ている。

プラトンが書き残した哲学の本は、
そのほとんどが「ソクラテスが活躍する物語」の形で書かれており、
現在の「ソクラテス像」は、
これらの本に出てくる「ソクラテス」が元になっている。

だから、実際のところ、「本当のソクラテス」が、
「プラトンの著作の中に出てくるソクラテス」のように
聡明な哲学的英雄だったかどうかは、今となっては誰にもわからない。

だが、ひとつだけ、はっきりしていることがある。
それは、

プラトンは、本当に本当に深くソクラテスを尊敬していた

ということだ。
プラトンは、ソクラテスを深く尊敬していたからこそ、
哲学を語るとき、ソクラテスを活躍させる形で著作を
書いたのである。

では、そのプラトン自身はどんな人だったのかといえば、

・王の血を引く貴族の息子
・趣味は、文学や詩や演劇(しかも若くして自分で作品も書いている)
・将来の夢は、政治家

という感じの、才能溢れる超エリート人間だった。

家柄は名門中の名門、その上、豊かな才能を持っている若者プラトンは、
放っておいても、順調に出世街道を歩み、
ゆくゆくは国を動かす偉大な政治家として名を残したことだろう。

だが、そんなプラトンは、偶然、
街でソクラテスに出会ってしまう。

ところで、当時のソフィストたちは、みな、
「街頭で、大衆に向かって、一方的に演説をする」
というスタイルで活動をしていたが、
ソクラテスは、一風変わっており、
「街を行く普通の人を捕まえては、疑問をなげかけて、
 対話しながら一緒に問題を追及して行く」
という独特のスタイルで活動していた。

「本当の善とは何か!?
 本当の愛とは何か!?
 みんな軽々しく、善だ愛だ、と言っているが、
 我々はまったく、それについて知らないじゃないか!
 本当の善とは何か、一緒に考えようじゃないか!
 そこの道を行く、キミ!キミはどう思う?」

そんなソクラテスとの出会いは、
プラトンの今までの世界観を一変してしまうほど衝撃的だった。

「自分だって、何も知らないじゃないか。
 それなのに、調子にのって、愛だ何だと劇まで作って……」

プラトンは、ソクラテスの話を聞いてるうちに、
自分が書いてきた詩や演劇作品が
急に、恥ずかしくなってしまい、
それらの作品をすべて炎の中に投げ入れて、
そのままソクラテスの弟子となり、
哲学の世界にハマッていくことになるのだが、

その矢先、例の事件により、ソクラテスは、突然、死刑を言い渡され、
自ら毒を飲んで死んでしまうのだった。

この事件は、純粋な超エリート青年プラトンの
その後の人生を一変してしまうほどの衝撃を与えた。

「ソクラテス師匠が、何をしたって言うんだ!
 ただ、真実を追い求めていただけじゃないか!?
 それなのに、なぜ、死刑にならなきゃいけなかったんだ!?
 うぉおぉぉ、師匠ぉ〜〜〜!!_| ̄|○」

この無念さ、憤りが、プラトンをより哲学の世界へと駆り立てる。

こうして、ソクラテスの「真理の探究」という熱い炎は、
プラトンに受け継がれることになる。

プラトンは、師匠の情熱を引き継いで、悩みに悩みぬき、
考え続けた。

「師匠は、言葉に踊らされず、
 『本当の善とは何か?』『本当の愛とは何か?』
 それを探求せよと言った。
 でも、そんなものが本当にあるのだろうか?
 いやいや、自分は、師匠が言った、その『本当の何か』を
 探し続けるんだ!」

だが、当時は、相対主義が幅をきかせる時代である。
世の中の知識人たちは、
『そんなものは、人それぞれの相対的なものだ』
と述べる。

たしかにそうだ。
ある国では、「転んでいる人を助け起こすこと」は、『善』とされているが、
別の国では、助けるとその人のためにならない、という理由で、
「助け起こすこと」が『悪』とされており、
むしろ「助け起こさないこと」の方が『善』とされていることだってある。

だから、『善』なんて、国や時代や人によって変わるもので、
『絶対的な善』『本当の善』なんてものは存在しないのだ。

それはとっても妥当で理性的な考え方で、くつがえりそうもなさそうだ。

だが、プラトンは、それでも考え続けた。
自分が考えるのを止めてしまったら、
師匠のやってきたことがすべて無駄になってしまう。

「ちがう、ちがう!きっと、どこかに、
 万人に共通な「本当の善」「本当の美」があるはずなんだ!
 それが一体、何なのか、自分は探求し続けるんだ!」

苦悩の末、やがて、プラトンは、はっと気が付く。

「……待てよ。
 『善は、相対的で、人それぞれだ』と言いつつも、
 みんなは『善』という共通の言葉(概念)
 を使って話しているじゃないか。

 たしかに、『善』なる行いとは何か?を問えば、
 それは人それぞれだ。
 だが、それぞれが述べた『善』という言葉から受けるイメージは
 みな『同じもの』じゃないか!

 『善』という言葉を聴いたとき、
 『みんなが共通して思い浮かべるイメージ』は、
 いったい、どこから来たんだ!!?」

たとえば、目の前に、三角形の石がある。
あの石は、「三角形だ」という人もいれば、
「角が少しかけているし、ぜんぜん三角形に見えないよ」
という人もいる。
相対主義者たちによれば、
「万人が認める『三角形の石』など存在しない。
 だから、『本当の三角形』など存在しない」
ということになる。

また、一見すると『三角形』にみえる石があったとしても、
どんどん拡大してよく見ていけば、いつかは、
線がまがっていたり、角が丸まっているのが、見えてくるわけで、
いわゆる『完璧な三角形』というのは、
現実には存在しないのは明白だ。

だが、プラトンは、こう考える。

「たしかに、この世界には、
 『完璧な三角形』『本当の三角形』は、
 現実のものとして存在しない。
 でも、だからといって、
 『完璧な三角形』『本当の三角形』は存在しない、
 と言ってしまって良いのだろうか?

 いや、違う!

 俺たちは、『完璧な三角形』なんて見たことはない。
 でも、俺たちは、『完璧な三角形』『本当の三角形』が
 なんなのか、たしかに知っている。
 
 だって、『完璧な三角形』がなんなのか知っているからこそ、
 『あの石は、完璧な三角形じゃない』と言えるんじゃないか!

 それなのに、『完璧な三角形』『本当の三角形』は存在しない、
 と言ってしまって良いのだろうか?

 そもそも、『存在する』ということが、
 『みんなが共通して、見たり触れたりできるもの』
 のことであるなら、

 『三角形』とか『四角形』とか『円』とか、
 『みんなが共通して、理解したり認識できるもの』だって
 ひとつの『存在』として認めてやっても
 いいんじゃないだろうか!?

 思い切って、そういうものも『存在している』
 と言ってしまってもいいんじゃないだろうか!?」

こうして、プラトンは、
『三角形』『四角形』『善』『愛』『正義』といった、
「万人が共通して思い浮かべられる何か」
「現実には存在していないのに、
 なぜかみんなが意味を理解している何か」
を「イデア」と名づけ、
それが『存在している』と主張した。(イデア論)

たしかに、相対主義者が言うように、時代や国が変われば、
『善』とされるものも変わっていく。

だが、どんなに時代や国が変わっても、
『善』と言われたときに、頭に思い浮かべるイメージそのものは、
決して変わらないだろう。
どんなに、時を経ようと、『善』という概念は永遠普遍なのだ……。

「倒れている人を助け起こす人」「あえて助け起こさない人」
行動としては、まったく正反対である。
でも、どんなに「行動」が違っていても、それを行うときに
その人が目指している『善』は、共通の同じものである。

だとするならば、
「絶対的な善」「本当の善」というものが、
この世界に存在している、
と言っても良いのではないだろうか。



この「イデア論」という考え方を初めて聞いたとき、
とても強く感銘を受ける人もいれば、
「なんだ、そんな程度の話か」と思う人もいるだろう。
イデア論について、受ける印象や評価は、人それぞれである。

しかし、「本当の善」「本当の何か」を探求しようと叫び
その志(こころざし)なかばで死刑となった哲学者の意志を
引き継いだ若者が、当時の常識的な考え方(相対主義)に負けないで、
イデア論という新しい考え方を創り出したという
「哲学的な精神」には間違いなく大きな価値がある。

その後、プラトンは、アカデメイアという学校をつくり、
生涯を後進の育成に励み、最後は、本を書きながら亡くなったといわれる。

ソクラテスから始まった、熱い探求の火は、プラトンに受け継がれ、
そのプラトンが作った学校は、900年ものあいだ、若い哲学者たちを
育てていくのである。
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本だと、もっと読みやすいですよ〜(編集者のチェックが入っているので)

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