輪廻転生(2)

チベットでは、仏教が盛んだったが、ひとつ大きな問題があった。

そもそも、どんな宗教でもそうだが、宗教家というのは、
高いカリスマ性をもっている必要がある。
カリスマ性、指導力のない人物のもとには、
人々は集まってこない。当たり前の話だ。

だから、逆にいえば、カリスマ性を持ったお坊さんがいる寺には、
たくさんの民衆が集まっていく。

だが、もちろん、そんな偉いお坊さんだって、いつかは死んでしまうのだ。

問題は「その偉いお坊さんが死んだらどうするか?」である。

そういう偉いお坊さんの後継者として、親族や弟子が引き継いだとしても、
うまいこと師匠に匹敵するようなカリスマ性や指導力を持っているとは限らない。
(というか、大抵はダメ)

後継者がダメだと、民衆は、去っていく。
民衆の支持で、生活が成り立っている寺にとって、
それは死活問題なのだ。

さてさて。
当時、チベット仏教は、4つの宗派に分かれて争っていたのだが…。
そのうちの、カギュ派(さらにそのなかの一派であるカルマ・カギュ派)が、
この問題について、うまい方法を考えた。

「あ、そうだ!じゃあ、師匠の生まれ変わりを立てればいいんじゃないの?」

と考えたのである。

そこで、いきなり、他人の家に上がりこみ
「この子こそ、ワレワレが探していた師匠の生まれ変わりです!」と持ちかける。
そりゃあもう、信仰心の厚い国柄だもの
「オラの子供が?へぇへぇ〜、もったいねぇ〜」と言って、
当然のように子供を差し出す。

そうして、何も知らない子供も教育して、
師匠の生まれ変わりとして、祭り上げるのだ。

そうしたら、これが大ヒット!!

カギュ派は、大きく発展した。
これで、もう偉大な師匠が死んでも、師匠の信者をそのまま維持できるのだ。
減る心配はもうない。
さらに、「生まれ変わり」という神秘性も功を奏して、
信者がどんどん集まってきたのだ。

こうなると、当然、他の宗派は、面白くない。
そうきたら、もう手はひとつ。

「ウチの師匠は死にましたが、この子が、その生まれ変わりです」

と他の宗派も一斉にマネをし始めたのである。
こうして、チベットの歴史に、突如、
「お坊さんの輪廻転生ブーム」が巻き起こるのであった。

まったく……。

チベット仏教として、古くから、
「お坊さんが輪廻転生で生まれ変わって、民衆に道を説く」ということが
いつのまにかあった……という話であれば、まだいい。

それなら、まだ信じるに値する。

だが、歴史的に、チベット仏教をみてしまえば、
「輪廻転生による高僧の生まれ変わり」が、
いかに歴史が浅く、
明らかに信者獲得のために作られた、ウソっぱちだってことが、
はっきりしてしまうのである。