クオリア問題

巨大なビリヤード台」と「その上で転がるたくさんのボール」を想像してみて欲しい。

台の上で、ボールは転がり続ける。すべてのボールは、力学という絶対の法則に従って動いており、決して物理法則から外れた動きをすることはない。ときたま、他のボールと衝突することもあるが、そのときも力学の法則に従って、規則正しく機械的に跳ね返るだけである。

宇宙が、
こういうボール(原子)とその運動で出来ている
と考えてみて欲しい。たくさんのボール(原子)が、一定の法則に従って、永久に運動する世界だ。

このボールが、何億個、何兆個とあれば、その運動は果てしなく複雑化していき、ビリヤード台の上には、考えられないような、不思議な模様が現れたりする。ときには、その模様が、まるで意志を持つ生物のように見えたりすることもあるだろう。

さて。悠久の時の中、たまたま、偶然に、そのボールの集まりが「人間の形」になったとする。その「人間の形」をしたものが、手を動かしたり、表情を変えたりと、さまざまなドラマを見せたとする。


だが。実際には、その「人間の形」をしたものに、意志がないのは自明である。だって、「人間の形」をしたものは、結局のところ、
物理法則に支配された機械的なボールの集まりに過ぎないからだ。

「人間の形」をしたものが、
右手を上げた!これは俺様の自由意志だ!」と叫んだとしても、
意志なんてない。単に、機械的に動いた結果である」と解釈するのが妥当なところだろう。

「なぜキミが右手を上げたか?そこに『意志』なんて、妄想を持ち込む必要なんかない。そんなことは、ボールの運動で説明できる。すべては物理法則に従って、機械的に起こったことなんだ。たしかに、全てのボールがどう動いているかを知ることは難しいが、究極的には『キミ』が『物理法則に従うボールの集まり』である以上、『キミという人間が機械的な存在にすぎない』ということは自明なことなのだ」

その考え方は正しいように思える。

だがしかし。よく考えてみて欲しい。
仮に、すべてのボールの動きを説明する科学理論があったとして、「人間」のすべての行動について、完璧な説明を行うことができたとしても、それでもなお残る疑問がある。

それは、
今、現実に『この私』が感じている『この赤』がどこから来たのか説明がつかない
ということだ。

結局のところ、機械的に動くボールの集まりが、どんなに複雑化したところで、
今、現実に起こっている『この主観的な体験』
を生み出すなんてことはありえない。だから、そのボールたちの動きを理論立てて追求したところで、クオリアの問題については、何一つ解答は得られないのだ。

ところで、これまでの話は、
世界をボール(原子)の集まり
という古典的で単純な世界観で説明してきたが、もちろん、最新の科学理論では、もう少し世界は複雑に出来ている。だが、この話は、超ひも理論でも、量子論でも、どんな最新科学理論でも原理的に同じなのだ。というのは、結局のところ、どの科学理論でも本質的には、
「世界は、物質Xの集まりで出来ています。そして、物質Xは、法則Yにしたがって、運動(変化)します」
ということを述べているにすぎないからだ。つまり、理論の種類によって、物質Xが「原子」だったり、「量子」だったり、「ひも」だったり、法則Yがより複雑な数式だったりと、そういう違いがあるだけなのだ。

だから、
ボールの集合という考え方では、『なぜクオリアが発生しているのか?』を説明することができない
ということは、どんな科学理論にも適用できてしまうし、今後、科学がどんなに発展しようとも、同じ仕組みである限り、クオリアの問題を解決することはできない。

これが、クオリアが科学に突きつけている問題の本質である。

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