クオリア

クオリアは、科学における最大の難問である。

まずそもそも
クオリアとは、「主観的体験が伴う質感」のことである。

もっと簡単に言うと、赤い花をみたときの「赤い」という質感のことである。

もっともっと簡単に言うと、今まさに、ボクらの眼に映っている「」のことだ。

もっともっともっと簡単に言うと、ようするに、

 ← これ

今まさに、ボクらの眼に映っている「この色」のことだ。

「赤いもの」が「この色」で見えるのは、あまりに当たり前のことなので、普段は疑問にも思わないが、そもそも、 この色 (赤という質感、クオリア)は、一体、どんな仕組みで、どこからやってきたのだろうか?

もちろん、ボクの目に「 ある周波数の光 」が入ると、「この色」が見えるわけだが、別にそれは、「この色」として見えても、「この色」として見えても、なんでも良かったはずである。

それなのに、現実としてボクは、「この色」で見ている。じゃあ、「この色」でなければいけなかった理由・原因は一体なんなのだろう?いったい、どういった仕組み・原理で、「この色」は見えているんだろうか?よくよく考えてみると、まったく不可思議なことではないだろうか?

この疑問について、現代科学は、まったく何もわかっていない状態である……。


しかし、このクオリアについて、一番厄介な本当の問題は、今後、科学がどんなに進歩しようとも、この謎を解き明かす見込みはまったくない、不可能であると言うことだ。

というのは、そもそも、脳を解剖して、その動きをどんなに調べようが、「赤い」という「質感(クオリア)」を取り出すことも、なぜそういうものが起きているのか説明することも、決してできないからである。

たとえば、僕の頭に電極が刺されていて、僕が赤いものを見たとする。すかさず、脳科学者は「あ、今、キミの脳内で、これこれこういう化学反応が起きているよ」と説明するかも知れないが、それは決して、「まさに今僕が感じているこの色」の起源、仕組みを説明したことにはならない。

これは、ようするに、今後、人間の科学技術が進んで、「脳を原子レベルで全部調べて、その動きを完全に解明できた」としても、やっぱり 「『この私』に生じている『この赤』は一体どこから、どういう仕組みで起きたのか?」を説明することができない、ということであり、

物質を追いかけて、その動きの法則性を調べる

という現代科学的なやり方では、「我々の意識の上に起きている『この質感』」の起源を原理的に決して解明することができないということだ。

この「クオリアの起源 」という問題は、1990年頃、哲学者デイヴィッド・チャーマーズにより提起され、「人間の意識なんて、脳という機械の産物であり、この機械の仕組みを解明すれば、人間の意識の起源も解き明かされる」と楽観的に考えていた脳科学者、物質主義者たちに、大きな衝撃を与えた。

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