自由意志


自由意志とは何だろうか?

もし、自由意志を
自分で好き勝手に選択できることだよ
という意味で捉えているならば、それは明らかに間違いである。

もし、それが自由意志だというならば、
そんなものはない(^▽^)」と断言しても良い。

我々に、「自分で好きなように物事を選べる」という自由意志がないことは、以下の実験で簡単にわかる。


●自由意志を確認する実験

まず、目の前に、2つのコップ(鉛筆でも、消しゴムでも何でもいい)を置こう。



そして、右のコップ、左のコップ、どっちでも好きな方を選んで取ってほしい。なお、2つのコップに違いはない。自分からの距離も同じだ。どっちをとっても、何も違いはない。
さぁ、あなたはどっちを取るだろうか?
(実際に、画面のコップを使ってやってみて欲しい。好きな方のコップを選んで、指を置こう)

仮に、あなたは適当に、なんとなく、右のコップ(もしくは左のコップ)を取ったとしよう。
そうしたら、問いかけてみて欲しい。

なぜ、そっちを取ったの?」と。

何も合理的な答えは、見出せないはずだ。

はっきりいってしまえば、
なんとなく、そんな気になった」としか言いようが無いはずだ。
つまり、
どうして右のコップを選ぶ気になったのか、自分でもよくわからないけど、なぜだか、そんな考えが沸き起こってきて、右を選んだ
ということである。

だとすれば、明らかだ。

よくわからないけど、そんな考えが沸き起こった」とは、「なぜ自分がそうしようと思ったのか原因がわからない」ということなのだから、まったくもって、「自由(好き勝手に選べる)意志」なんかじゃない

だって、結局のところ、「右を選ぶ」という考えは、「自分にはわからない何か(自分の外部)から出てきた」ことになるからだ。

それは、あなたの体に見えない糸がついていて、背後で誰かが操っている状況に良く似ている。

誰かが、糸を引っ張ったので、「右手を上げた」にもかかわらず、あなたは
よくわからんが、自分で右手をあげたくなったのさ
と言い張っているのと同じである。

結局のところ、「自分でなぜそうしたかもわからない」のだから、「自分で自由に好き勝手に決めました」なんていえるはずもない。

では、逆に、右のコップを選んだことに、何か合理的な理由があったとしたらどうだろうか?

もしかしたら、こんなふうに言う人もいるかもしれない。

自分は右利きで、右が近いから、右を選んだのさ

それもおかしい。もし、合理的な理由がはっきりあって、あなたがそれに完璧に従うのだとすれば、そもそも、あなたには「自由な意志なんてまったくない」ことになる。だって、合理的な理由にしたがって、そのとおり動くだけなら、ロボットのように決められたとおりに動くだけで、全然、自由な意志なんかじゃない。

そう言われて、
いや、そうじゃない。おれは、ロボットじゃない。合理的な理由に従ったのは、自分の意志で自由に決めたことだ
といったとしても、
じゃあ、合理的な理由に従わない自由もあったんだよね?なのに、なんで、今回は、合理的な理由でコップをつかんだの?
と問いかけられれば、やっぱり、
いや、なんとなく、今回は合理的な理由で選択しようという気持ちになったんだよ
としかいえないのだ。

●まとめ

もし、我々が、自分自身の選択について、
なぜそれを選んだかの仕組みが完全にわかっていた」としたら、それはもう自由意志ではなく、機械的な意志になってしまう。したがって、機械的な意志でないためには、
なぜそれを選択したのか、その仕組みがわからない
ということが必須条件である。

だが、そうすると、
なぜそれを選択したのか、自分ではその仕組みがわからない
のだから、結局、我々が何を選択しようと、その選択は、「ブラックボックス(自分には計り知れない未知の何か)」から生じたことになり、やっぱり「自由(自分の好き勝手)なんかじゃない」ってことになる。

結論を言おう。
意志とは、我々の計り知れないところから「起こるもの」であり、我々の計り知れないところから「起こるもの」でなくてはならない。
(そうでなければ、機械的意志になってしまう)
結局のところ、
我々には「自分の好き勝手に意志を引き起こす自由」なんてないのである。

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『てつがくフレンズ』第28話

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