不完全性定理

一般的に言って、「数学的に証明された」ことについては、もう議論の余地はない。

どんなに年月が経とうと、決して反論されることもなければ、科学理論のように、よりすぐれた理論に取って代わられることもない。主義主張にも善悪にも関係なく、また、どんな嫌なヤツが言ったとしても、数学的に証明されたことは常に正しい。

まさに絶対的な正しさ。
「数学的証明」こそ、永遠不変の真理なのである。

だからこそ、数学を基盤にし、証明を積み重ねていけば、いつかは「世界のすべての問題を解決するひとつの理論体系」「世界の真理」に到達できるのではないかと信じられていた。

さて、1930年頃のこと。
数学界の巨匠ヒルベルト
数学理論には矛盾は一切無く、どんな問題でも真偽の判定が可能であること
を完全に証明しようと、全数学者に一致協力するように呼びかけた。
これは「ヒルベルトプログラム」と呼ばれ、数学の論理的な完成を目指す一大プロジェクトとして、当時世界中から注目を集めた。

そこへ、若きゲーテルがやってきて、
「数学理論は不完全であり、決して完全にはなりえないこと」
数学的に証明してしまったから、さあ大変。

ゲーデルの不完全性定理とは以下のようなものだった。

1)第1不完全性原理
ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する

2)第2不完全性原理
ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない

数学的証明は難しいので、要点を簡単に言おう。

たとえば、ボクが、「ボクは嘘つきだ」と言ったとする。

もしこの言葉が「真実」であれば、ボクは「嘘つきである」ことになるが、そうすると「嘘つきなのに、真実を言った」ことになってしまい、おかしなことになる。
一方、この言葉が「嘘」だとすれば、ボクは「正直者である」という事になるが、そうすると、「正直者なのに、嘘を言った」ことになってしまい、おかしなことになる。

結局、ボクの言葉が、真実でも、嘘でも、おかしなことが発生してしまうのだ。

これは、
自分自身について真偽を確かめようとするときに発生してしまうパラドックス
であることから、
一般に「自己言及のパラドックス」といわれている。

ちなみに、「ボクは正直者だ」と言った場合でも、似たようなことになる。
まず、この言葉が「真実」だった場合、正直者が「自分は正直者だ」と真実を言ったことになるので、問題なく成り立つわけだが、
この言葉が「嘘」だった場合でも、嘘つきが「自分は正直者だ」と嘘を言ったことになるので、これまた問題なく成り立ってしまうのだ。
つまり、「ボクは正直者だ」という命題は、真でも偽でも、どちらでも成り立ってしまい、結局、真とも偽とも決められないのである。

ようするに、
『おれって正直者(嘘つき)なんだよねー』と、自分で自分のことを言及したところで自分では、その言葉の正しさを絶対に証明できない、って話だ。

このような「自己言及パラドックス」が、数学においても、同様に発生することが証明されたのである。

それは、すなわち、一見すると、完全無欠に見える数学理論の中にも、「真とも偽とも決められない命題」「証明も反証もできない命題」が含まれていることを意味する(第1不完全性原理)。

そして、数学理論において、証明不能な命題を含むということは「正しいとも、間違っているとも言えない不明な領域」が数学理論の中にあるということなのだから、数学理論が「自らの理論体系は完璧に正しい」と証明することはそもそも不可能なのである(第2不完全性原理)。
 
この不完全性定理(自己言及のパラドックス)の考え方は、数学のみならず、理論体系一般すべてに適用することができる。
そのため、哲学者、科学者、法律家など
論理的に突き詰めていけば、どんな問題についても真偽の判定ができ、それを積み重ねていけば、いつかは真理に辿り着けると信じていた人々
に大きな衝撃を与えた。(ゲーデルショック

不完全性定理は述べる。
どんな理論体系にも、証明不可能な命題(パラドックス)が必ず存在する。それは、その理論体系に矛盾がないことを、その理論体系の中で決して証明できないということであり、つまり、おのれ自身で完結する理論体系は構造的にありえない

我々が、理性により作り出した理論体系が真理に到達することは決してない。


(補足)ところで、不完全性定理を持ち出して「理論体系は必ず不完全なものにならざるを得ないのです!」と主張する論述は、著名な数学の大学教授も含めて昔からよく言われている話であるが、実はこの語り口には多くの異論がある。いや、むしろネットの掲示板などでは格好の炎上ネタと言ってよいだろう。たとえば、こんな感じのケンカ腰のやり取りはネット上にいくらでも転がっている。

不完全性定理は、数学のある特殊な条件においてのみ発生するものであって、これをもって理論一般についてすべてが不完全だと唱えるということは、まったくもって不完全性定理を理解していない証拠だ!

実のところ、この批判は正しい。が、一方で、そもそもは、フレーゲやラッセルらといった哲学者兼数学者が、「数学って結局、記号をあるルールに基づいて操作しているだけだよね、つまり、論理学の世界で全部記述できちゃうよね」といった観点から「数学の完成」を目指したところ、「ラッセルのパラドックス」などの自己言及的なパラドックスが次々と見つかってしまい、ヤバいヤバいと「数学の危機」が叫ばれているなかで、それと類似するパラドックスを、ゲーデルが数学上で再現してしまった……という歴史的経緯があることを忘れてはならない(そして、実際、その結果として、ヒルベルトプログラムの野望は完全に破綻した)。

こうした経緯から、「不完全性定理 = 完璧な論理の体系を作る野望にトドメをさした最終兵器」という意味合いでよく引き合いに出されるようになったわけであるが、その弊害として、そういった歴史的な背景を踏まえず、「すべての理論体系は不完全である。なぜなら不完全性定理によって『証明』されたからだ」と単純な言い方をする、聞きかじりの人たちが急増。そのため数学畑の人から、「それは誤解だ!」とめっちゃキレられるということが、ネット議論の風物詩になってしまった。なので、人によっては「不完全性定理」という用語を持ち出しただけで「また、あの手合いか!」と拒絶反応されることも多く、危険なキーワードであることは間違いないので取り扱いにはぜひご注意を。

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