もう1つの人工生命 −増補修正版−

どうも皆様、この度代打テキストを書かせていただきます 
とくがわ偽装科学総合研究所です。よろしくお願いします。 

何で代打テキストなのか? 
それは私のサイトが一周年を迎えたからです! 
平たく言えば、一周年記念特別企画、ですね。 

<ここから追記> 
…それから早くも4年がたちました。時がたつのは早いものです。 
その間に飲茶さんは人工知能に手を出し、株に手を出し、市場最速で駆け抜け 
会社を辞めて独立して、出版物を出したという怒涛の逝きっぷりもとい 
生きっぷりですが、私のほうは基本的に変わらないスタンスで
サイト更新しています。 
プライベート?…それは、まぁ、それです。 

さて、今回は「東都大学」で生物系の学会があったのでそこで仕入れた知識を 
紹介なども追加したいと思います。(前に書いた文章の訂正も一部入れます) 
ん…勘のいい人なら気がついたでしょうか? 
物理学の湯川準教授は授業やってたので会えませんでした。 
いやーすごい人気でした。壁際まで学生がへばりついてたw 
物理系では東都大学で一番人気みたいですね。 
</ここまで追記>

この飲茶さんのサイトの読者さんなら、人工生命についての造詣は、 
もはや普通の人とは比べ物にならない領域ではあると思います。 

しかし。 

コンピューターによるアプローチとは別に、生物学的な人工生命に 
対するアプローチについてはあまり知らない方もいらっしゃるかも 
しれません。そんなわけで今回のテーマは 

もう1つの人工生命
生命科学は人工生命を生み出せるのか? 
-最新状況を踏まえつつ 一部修正版- 

人工生命を作り出そうとした歴史が、ものすごく古いのは確かです。 
とはいえ、アプローチとして適切なものになったのは近年になってから、 
のはずです。 

何故か? 

昔の人は「生命ってのは神が作り出した」の時代を過ぎると 
「生命なんて勝手に生まれてくるんだ」と、 
改心する前の 山のフドウ みたいな考えをしていました。 
(わかんない人すいません) 

原初の生物は「犬のなる木」「魚のなる木」から生まれてきたと、 
考えられてもいたわけです。 
もっともその考えは流石にすぐ捨てられましたが。 

しかし、微生物などは腐ったものから沸いてくるので、生命は 
勝手に生まれてくるのだという考えはなくなりませんでした。 

<追記ここから> 
一方、考えてみると必ずしも微生物が沸かない場合も存在します。 
たとえば塩漬けにした肉や干し肉には微生物が繁殖しません。 

また、瓶の中に食べ物をいれ、煮沸して加熱し空気を追い出し、その後 
ふたをするという方法でも微生物が繁殖することはできなくなります。 

この方法は1804年にフランス人のアペールが開発しました。 
このの結果、ナポレオンは瓶詰めを手にし、アペールは12000フランを 
ゲットしました。軍の保存食開発のための実験でした。 

その後、1810年に缶詰をイギリス人ののピーター・デュランドが開発します。 
ただ、彼らは必ずしも生命の自然発生を論理的に証明したわけではありません。 
</追記ここまで> 

そんな時、一人の男が現れます。ルイ・パスツール。 
彼は生命の自然発生説を否定しました。 

パスツールは肉汁の入ったフラスコを加熱、微生物が外界から入らないように 
する実験でそれが腐らないこと、つまり生命は自然に発生しないことを 
示したのです。 

さて、パスツールがこの実験を行ったのは1860年、その前年に 
ダーウィンが「種の起源」を発表しています。 

生命は自然には発生しない。なのに進化し、分化する。 

これで学会は紛糾します。 
「おかしいじゃないか、生命は自然発生しない。のに生物は進化して分化した。 
 なら最初の生命はどこからやってきたんだよ」 
(そこから生命は宇宙からやってきたという説を唱える人もいます) 

1876年には自然発生は完全否定されます。 
そして論争はヒートアップする一方となります。 

生物学者が紛糾している間、化学は大きく進歩していました。 

それまで生命の構成要素、有機物を作るには「生気」が必要である 
といわれていました。 

昔は有機物を合成する際に、「生気」という一種のエネルギーが必要と
考えられていて、無機物は化学合成可能だが、
有機物は化学合成不可能と考えられていたのです。 
生命は構成要素からも、非生物とは区別されると考えられていました。 

しかし1828年に行われたヴェーラーの尿素合成実験の結果、 
有機物の合成自体には「生気」なんて物は必要ないということが分かったのです。 

生命と非生命を分けるものは、構成する物質ではない 
「生気説」の否定です。 

どんどん持論が否定されて行く生物学者。まだあります。 

生命の情報は細胞内の特定の位置にある、遺伝子の存在の提唱。 
それまでは遺伝物質は液体のようなものであると考えられていたのです。 
メンデルが提唱した遺伝子の概念も、1900年まで認められませんでした。 

…生物学者って何やってたんでしょうね。 

さておき、20世紀に入り遺伝子の正体やら細胞の構成やら、細胞が 
脂質膜で覆われてたりタンパク質を含んでたりすることが分かるように 
なってもなお、最初の生命の起源は分からないままでした。 

「もういいからさ、神様が創ったことにしようぜ」 
て人もいましたが、あきらめられない人たちもいました。 
(現在でもそう考えてる人はいます。バチカンさえ進化論認めてるのに) 

特にソ連の科学者は大いに燃えていました。 
共産主義に「神」の存在など認められないからです。 
「神」の否定のためにも、生命の起源を探らねばなりません。 

そんなわけでオパーリンが提唱したコアセルベート説、原初の生命は 
有機物のスープの中で自然発生した、という新たなる自然発生の 
考えが生まれました。 

そして、ミラーによる放電実験の結果、有機物は自然に発生し、 
だから生命も発生できると言う考えが生まれたのです。 

だったら人間には生命は作れないのか? 

こういう考えが生まれてくるのも時間の問題でした。 
というより、その考え自体は古くからあります。 

それこそカバラ秘術やら錬金術によるホムンクルスやらのころから、 
人間はそんなことを考えていたわけです。 
しかしながら、それで上手く行ったかどうかは…。 
(12世紀には221の門のアルファベットでロバ作っては食べた親子や 
(えらく即物的ですな)、精液からホムンクルスを作るやらいろいろあった 
みたいですが、私には出来ませんな) 

生命を作るには何が必要か?材料です。 
1965年シュピ−ゲルマン春名により、ファージの合成を試験管の中で 
行うことに成功しました。 

ファージとは遺伝子とタンパク質の殻からなる粒子で、大腸菌などに 
感染して増殖する小さなウィルスです。 
こいつをタンパク質の殻と遺伝子に分解した後、また元に戻せるか 
試してみました。…ら、戻りました。 

極論すると、腕ちょん切ってつなげるかどうか試したらつながった、 
みたいなものです。 
ファージは厳密な意味での生命ではありません、がしかし、この実験が 
示したのは、生命の再構築の可能性です。 

つまり、何らかの細胞を分解して、それを元に戻したら生命になる 
…ということも不可能ではないかもしれないってことです。 

これは大変重要なことで、生物以外(生物の断片)から 
生物が出来ることを示唆するといっていいでしょう。 

<ここから増補・修正> 
1990年代末から、これらの人工生命製作アプローチは別の方向からも 
加速していきます。 
愛媛大学などで行われているタンパク質合成の無細胞反応系なども
そのひとつです。 

また、2000年前後には大阪大学の四方らにより、「人工細胞」つまり、 
遺伝子の一部を取り出しそれをたんぱく質にし、細胞内で動かすという 
実験が行われています。 

さて、2007年現在、人工生命は… 
セレラ・ゲノミックス社の元CEO、クレイグ・ベンターによる人工生命開発 
プロジェクトはついにそのゲノム構造を決定しつつあるようです。 
あとは実際にそれを動かす……つまり生命として働かせられるかどうか調べる。 
残念ながらまだ、結論には至っていません。 

実際に人工生命は出来るのでしょうか? 
いずれにしろその質問に対する答えは……もうすぐ出ることになりそうです。 

……俺の脳内ライバルにここまでやられて黙っているわけにはいきません。 
慶応大学の冨田らのE-cellが既に存在するわけですが……
僕もこの手をバーチャル人工細胞で汚したいのかもしれません。

それでもこれだけのことやって、得られるのは小さな微生物のみ。 
人間を構成する遺伝子は4万弱、そこから作り出されるタンパク質は約10万、 
人間間の遺伝子の違いは1000万以上あるといいます。 
さらに脳の記憶を移すことも出来ません。 
人間とは、生命とはそれほど複雑なものです。 
</増補・修正終わり> 

もし人工生命が出来たとしても、生命とは何なのかがわかるなんてことは 
おそらくないでしょう。 
生命とは、人間とは、私とは、あなたとは何なのでしょう? 

結局、人工生命を作る試みというのは、ムダなんでしょうか? 
ムダかどうかで言ったらムダです。しかし……そもそも人生にムダでない 
ことってどれだけ有るんでしょうか? 

「人工生命を作りたい理由?生命が地球にあるからさ